NPO釜ヶ崎 現場通信 70号
「まだ頑張れる」は、もう危ない。転ばぬ先の福祉を!
輪番就労の仲間が、死亡・意識不明で入院=相次ぐ
昨年に引き続き、輪番就労に登録した段野浩さんは、新しいカードを使うことなく、3月 27日、富永病院で亡くなった。
段野さんは 3月 25日の晩、特掃詰め所の奧にある夜間宿所に泊まったが、翌朝の退所時間になっても目を覚まさなかった。呼吸が浅く、呼びかけても返事がないことから、救急車が呼ばれ、杏林に運ばれた後、富永に転送され、翌日亡くなった。意識のなくなった 3月 26日は、段野さんの 61回目の誕生日に当たる。病名は「クモ膜下出血」ということのようだ。9月の一斉検診の結果は、血圧が非常に高い以外は異常なしということだった。
矢部さんは、段野さんが救急車で運ばれた翌日か翌々日かに、就労に来て特掃事務所から救急車で運ばれ、何分か心臓が止まった後蘇生、しかし、意識が戻らず富永に転送され、集中治療室にいる。段野さんと同じ 61歳。矢部さんの場合は、昨年入退院を繰り返し、今年 3月はじめに、久しぶりに就労に来た。やつれていたので「入院していたのか」、ときくと、「そうだ」と答えた。「仕事に来てる場合ではないだろう、生活保護の相談の方が先だろう」には、「まだいい」の答え。その日は、やはり体調が悪かったのか、道路で受付をしたものの、腕章を配る前に帰って、結局、不就労に。再登録の日に列に並んでいたので、「もう登録やめて福祉にしたら」といったら、この時も「まだいい」。次に就労に来た日が救急車で運ばれた日。足元もおぼつかなく、脈は弱く速い。それでドクターストップとなって、救急車が呼ばれたのだった。
あえて非情な物言いをする。「特掃は働いて賃金を支払う制度。死に面した病人が来るべきものではない。」
段野さんも矢部さんも 61歳だった。65歳にならないと生活保護(居宅保護)が受けられにくかったときならいざ知らず、特掃に以前から来ている仲間は、60歳以上で敷金支給の上居宅保護が可能の現状をよく知っているはずだ。元気な仲間でも、職安で「求職受付票」をつくってもらい、5回「職業相談」のスタンプを押してもらえば、生活保護を申請することができる。60歳以上では、受け付けられなかった例はない。
「元気なのに福祉は・・・」という声もあるが、居宅を確保して、輪番就労以上に働いている仲間もいる(勿論、区役所に対して収入申告は必要)。福祉にかかったからといって働いてはいけないというわけではない。安定した居所を確保することによって、いたって仕事に就きやすくなるようだ。
野宿・夜間宿所生活は、誰が考えても健康に良くない。寿命を縮める。
敷金を払えば、風呂・トイレ・台所付きの部屋で住むことができる。60歳以上では可能なことだ。
残念ながら、60歳未満の仲間にとっては、道は厳しい。選択の幅の少ない、これからも当分野宿を続けざるを得ないであろう仲間のためにこそ、限られた就労機会が配分されるべきであることは、誰が考えても理解できることだと思う。
60歳以上は、一日も早く特掃から卒業し、卒業することが適わない仲間のために、収入の道を譲ってもらいたい。千人が卒業すれば、残ったものが月に何回余分に就労することができるか考えてもらいたい。自らも助かり、他者をも助ける道を選択してもらいたい。福祉にかかっているのに就労するなど、言語道断、仲間の血肉を食い物にするのに等しい所行である事に気づいてもらいたい。
今年から新しく加わった仲間もこれを機会に考えよう
60歳すぎたら、居宅を確保して職探し=生活保護で再出発を