NPO釜ヶ崎 現場通信 20号
特掃詰所で昼飯前の待機中、仲間が死んだ
少しでも体の調子がおかしいときは、無理せず病院へ 生命第一に
10月4日午後12時35分、道路清掃にきていた森田さんが亡くなった。慎んでご冥福をお祈りいたします。
森田さんは、朝から調子が悪かったらしく二度ほどもどしていたという事です。それでも頑張って朝のコースをこなし、詰め所に戻ってきて、昼ご飯前に両手を枕にし机にうつ伏して休憩していた。弁当を配り始めて「メシやで」と声をかけて肩をゆすっても、返事が無かった。これはおかしい意識が無いようだ、救急車を呼べ、ということになった。
救急隊員は見るなり、「もういっとおるやないか、何でもっとはよ呼ばんのや」と怒り出した。慌てて担架に乗せて、救急車の中に運び入れ、酸素マスクをあてたり、のどの奥に管を入たり、何とか蘇生させようと努力されていた。杏林病院に運ばれたが、瞳孔が開き、心臓も止まっている状態で、30分は努力してみるが、あきらめて欲しい、と付き添いのものは伝えられた。その努力後の時間が、日午後12時35分ということだ。本当に亡くなった時間はそれよりも50分前後さかのぼった時間と思われる。
享年64歳7ヶ月。後5ヶ月で65歳。
六五歳に五ヶ月足らないで散った命!
森田公教さんは、大阪万博のころから釜ヶ崎で働いていた人だといいます。30歳前半から日雇として働き、64歳で日雇として死んだことになります。三角公園の夜間宿所開設の前は、阿倍野区の旭町公園でブルーシートのテントを張って一年半からニ年くらい暮らしていたそうですが、夜間宿所ができてからはズウット夜間宿所を利用していたそうです。少なくとも三年は、不安定な居住での生活を続けていたことになります。
お酒はよく飲む方で、以前、医者から血圧が高いといわれていたものの、最近は病院に行った事がなかったということです。直接の死因が何であったのか、まだ知ることができません。警察のほうでお兄さんと連絡が取れたようですから、お兄さんから聞くことができるかもしれません。森田さんの生涯最後の賃金5700円を渡さねばなりませんから、その時に。
直接の死因が何であるかはともかく、長年の日雇労働者としての労働・生活、そして野宿生活が、森田さんの寿命を短いものにしたと思います。そして、森田さんの寿命を短くしたことについて、釜ヶ崎支援機構にも責任があると考えます。輪番就労は生活を支えるほどのものにいつまでたっても拡大せず、福祉相談は65歳の壁を突破できないままでいる。65歳の壁も問題だが、その壁を理由にして、65歳以下の仲間の相談に、少し熱意が欠けることが問題なのだと今回のことで思った。
釜ヶ崎支援機構も万能ではなく、たいした力もなく、福祉部門のスタッフは少ない。しかし、目の前で力尽きて死に行く仲間を座して見たくない。年齢に関係なく、何ができるか、遠慮なく声をかけてください。
9月27日 結核検診の報告
夜間宿所前と道路清掃事務所前の結核検診には、夜間宿所前で339名が受診、道路清掃事務所前では75名が受診しました。
夜間宿所前受診者の内で11名が要再検査となり、宿所外で連絡の取れなかった4名を除く7名が翌日再検査を受けて、1名が入院、3名が通院となりました。道路清掃事務所前では3名が再検査となりそのうち2名が輪番労働者でした。1人についてはまだ連絡が取れていませんが、再検査を受けた2人の内1人が入院となりました。結核の診断は、レントゲン写真だけでは限界があり、タンの検査までやってようやく確定するそうです。今回の検査が「無事」でも、油断無く、おかしいと思ったら病院へ
あいりん相談室(社会福祉法人 大阪自彊館)
失業や高齢、疾病などにともなう生活障害の諸問題をかかえ、「あいりん地域」で生活困窮状態を余儀なくされている労働者等に対して、生活全般にわたる相談を受け付け、その自立を支援します。
*事業内容
- ①生活全般に対しての相談・助言
- ②関係機関、各種団体との連絡調整及び情報交換
- ③その他,目的達成のために必要な事業
西成区萩之茶屋1-9-14(大阪自彊館「三徳寮」内)
TEL.06-6645-0504(月~金/午前10時~午後3時)
(福祉の専門家による相談が受けられます)
10月15日、少しは動く?
秋風の伝えるところによれば、輪番労働者にとって少しは喜ばしいことが、10月15日からあるらしい。輪番の回りがよくなるという話。
輪番就労は、命をつなぐには誠に細い糸ではあるけれども、諸方の努力で少しだけ太くなる。野宿する仲間優先の心を忘れないで欲しい。細い糸を少しでも太く活用するために!