野営闘争開始

1994

野営闘争開始

1994年初頭、バブル崩壊後の厳しい状況下において、
釜ヶ崎の高齢労働者や野宿者の生活・就労保障を求める闘争が大きく動き出した。
府庁前野営闘争と行政の対応
2月25日から3月2日の府議会開会期間中、大阪府・市の話し合いを求めて府庁前での野営闘争が展開された。しかし、大阪府は「退職年齢を超えた高齢者は労働行政の枠外」とし、大阪市は「府が就労プランを立てるなら協力する」と双方で責任を押し付け合う回答にとどまった。
これに対し、6月13日には以下の緊急・総合対策を盛り込んだ要求書が府市へ提出された。
・緊急要求:
高齢者のための軽作業確保(1日500人分)、あいりん総合センターの夜間開放、無料宿泊所(シェルター)の設置
総合対策としての、高齢者就労対策事業の制度化、低家賃住宅の建設、ドヤでの居宅保護認可
暴言による交渉決裂と窓口座り込み
6月20日から25日にかけて再び府庁前で野営闘争(6日間)が行われ、日中には400名が集まり座り込みやデモを展開した。しかし、府労働部特対室主幹による「野宿対策は民生問題だ。大阪市へいけ」という発言により交渉は決裂。
撤収後、労働者側は「西成労働福祉センターは労働部の現地出先機関である」として、センター窓口での追及へ転換した。
6月27日からはセンター窓口での泊り込み交渉(65日間)に入り、①主幹の暴言に対する釈明、②高齢労働者の就労緊急対策、③対策具体化までのセンター夜間開放、の3点に絞って要求を突きつけた。
センター夜間開放の開始と団体交渉の成果
6月27日夕方、交渉中にセンターのシャッターが閉まりだしたことで労働者が抗議行動を起こし、シャッターがストップ。急遽ゴザ約300枚を集めて夜警体制を組み、センター開設以来初となる「夜間開放第一夜」を迎え、380名が夜を共にした。
西成労働福祉センターも労働者側に連携して対府交渉を進め、7月1日には府労働部主幹と市民生局保護課長が初めて共に団体交渉の席についた。この結果、以下の成果を勝ち取った。
・暴言の事実認定・撤回・謝罪
・野宿問題の根本原因が労働行政の立ち遅れにあると認識
・府市協力による「別途の就労対策」実施の約束
・あいりん総合センターの夜間開放
労働者たちの自発的かつ粘り強い野営・泊り込み闘争により、
行政に責任を認めさせ、具体的な就労・避難対策を引き出す大きな一歩となった。

個別野宿から集団野営へ 釜ヶ崎反失業連絡会 写真帳

1997年5月・11月
1997年5月

5月26日 反失連 府庁前大阪城公園で1週間野営闘争 アルジェリアテント3張り、その周辺にゴザと毛布で野営。毎夜400人を超える。府は緊急対策として「特掃」300万円上積み、市は年間通じて休日明け6名増員と霞町再開発ビルせの清掃要員3名分確保。府市の共同責任(府場所提供・市乾パン・毛布)でセンターの夜間開放。
炊き出し(5月30日分の事例)朝 金とき 570食 昼 ゲキカラ丼 560食 夕 カレー丼 585食 (釜ヶ崎と連帯する皆さんへ・報告その8)