就労
福祉
野宿生活者
釜ヶ崎のこれからの課題
釜ヶ崎は、日雇い労働者が集まる「寄せ場」として長らく発展してきました。
しかし、日雇い労働は「景気の調整弁」とも言われるように、不安定な雇用形態であり、明日の仕事が保証されているわけではありません。
また、命に危険が及ぶ労働も少なくなく、過去には手配師(日雇い労働者を集める求人業者)による労働者への暴力が横行するなど、さまざまな課題を抱えていました。
バブル崩壊やリーマンショックなどの景気後退時には、日雇い労働者が真っ先に失業してしまうことも、この働き方の特徴でした。仕事を失った労働者の多くは、路上での生活を余儀なくされました。
当時はホームレス状態となって役所へ生活保護を申請しても、65歳未満の人は生活保護(居宅保護)の利用が認められないケースも多く、過酷な路上生活の中で命を落とす人が後を絶ちませんでした。2000年に大阪市立大学(現・大阪公立大学)が実施した調査では、大阪市内で294人(簡易宿所で生活していた人81例含む)の方が路上生活中に亡くなったという結果が報告されています。
このように釜ヶ崎は、さまざまな社会課題が積み重なってきた地域であり、その歴史の中で多くの支援活動や社会運動が展開されてきました。
そして、時代は大きく変わりました。
路上生活者の数は減少し、地域を取り巻く状況も大きく変化しています。しかしその一方で、これまでとは異なる新たな課題が生まれています。
① 問題の潜在化・点在化
かつては「釜ヶ崎へ行けば仕事がある」と認識され、多くの日雇い労働者が全国から集まっていました。そして、仕事にアブれた人が釜ヶ崎の中で野宿生活を送ることも少なくありませんでした。
そのため、困難を抱えた人々が比較的限られた地域に集まり、支援の必要性が見えやすく、支援にもつながりやすいという側面がありました。また、同じような状況にある当事者同士が近くにいることで、炊き出しの場所や支援団体などの情報を共有しやすい環境でもありました。
しかし現在では、スマートフォンを活用した求職活動が一般的となり、仕事を求めて釜ヶ崎を訪れる必要性は以前ほど高くありません。また、「スキマバイト」や「スポットワーク」といった新しい働き方も広がっています。
一方で、非正規雇用など不安定な就労を続けながら、インターネットカフェなどで生活する人も少なくありません。
その結果、生活に困窮していても誰にも気づかれることなく孤立し、支援につながれないまま心身の健康を損なう人が増えています。
② 居宅生活移行後の孤立・孤独化
運動の積み重ねや裁判闘争などを経て、生活保護制度は以前より利用しやすくなりました。その結果、多くの人が路上生活から居宅生活へ移行することができました。
しかし、その先で新たな課題が生まれています。それが「孤立・孤独」です。
地域とのつながりがなく、身近に相談できる人もいない状況に加え、生活保護に対するスティグマ(偏見)の影響から、社会との接点を失い、自宅に閉じこもってしまう人も少なくありません。
その結果、アルコール依存症などによって心身の健康を損ない、孤独死に至るケースも依然として後を絶ちません。西成区は平均寿命が全国でも最も短い地域であることが知られており、この問題の深刻さを示しています。
また、生活保護への移行を希望せず野宿生活を継続している方への支援も引き続き課題として残っています。
③ ジェントリフィケーション
近年、釜ヶ崎では地価の上昇が進んでいます。
これまで釜ヶ崎は、低廉な宿泊施設や住居が数多くあり、所得が低くても比較的暮らしやすい地域でした。しかし近年では、外国資本などによる土地・建物の取得が進み、高価格帯の宿泊施設も増えています。
この流れが進めば、これまで地域で暮らしてきた人々が住み続けることが難しくなる可能性があります。
それに加えて釜ヶ崎では初期費用がない人でも入居できる物件(ゼロゼロ物件や安価な簡易宿所)が多数あり、それにより野宿せずに済んでる人もいますが、ジェントリフィケーションが進むことによりそういった物件が減少し野宿に追いやられる可能性が高まります。
④ 貧困ビジネス
過去から現在に至るまで、貧困ビジネスは姿を変えながら存在し続けています。
近年では、住まい・福祉・医療の事業者が連携し、困窮状態にある人を囲い込むような事例も見られます。必要性が疑問視される医療や、支援内容の実態が見えにくい福祉サービスが提供されることで、本人が抱える課題の解決が放置され本人が持っている能力を生かすこともできず、自立につながらないまま生活が続いてしまうケースもあります。
私たちは、一人ひとりの意思や尊厳を大切にし、その人らしい生活と自立につながる支援のあり方を追求していきます。
⑤ 多様化する就労困難状態
釜ヶ崎支援機構は、いわゆる「ホームレス支援団体」と比較すると福祉支援だけではなく、就労支援や仕事づくりに力を入れてきたことが特徴です。
しかし、設立当時と比べると、現在の就労困難状態にある人々が抱える課題は大きく多様化しています。
単に「仕事をつくる」だけではなく、一人ひとりの状況や特性に応じた就労機会を提供し、それぞれのペースで働くことができる環境づくりが求められています。
釜ヶ崎支援機構では現在、「段階的な就労支援」の仕組みづくりを進めており、一人ひとりが状況に応じてステップアップできる体制の整備を進めています。
過去と比較し、様々な福祉に関する制度が整備されましたが、「就労」に関しては、まだまだ世の中のニーズに追いついていないと感じています。私たち釜ヶ崎支援機構は「寄せ場」から生まれた団体として、社会的就労の整備を含めて「働き方そのもの」を捉え直し、全ての人々が社会の中で役割を持ち、働く機会を得られるような仕組みを作っていくことが実践的な課題として浮上しています。
⑥ ホームレス自立支援法の延長
ホームレス自立支援法は時限立法です。
2002年に10年間の期限付きで制定され、その後、2012年には5年間、2017年には10年間延長されてきました。
法律が制定された当時、大阪市内のホームレス数は1998年の行政調査で8,660人でしたが、令和8年の調査では776人まで減少しています。
このような減少傾向から、「法律の役割は終わったのではないか」という議論がなされることもあります。しかし、この減少は、ホームレス自立支援法を基盤として、国・自治体・民間団体が連携し、長年にわたり支援を積み重ねてきた成果でもあります。
厚生労働省による全国調査上ではホームレス状態にある人が減少していますが、一方で「ネットカフェ難民」などの見えづらい住居不安定者は現在も多数存在しています。全国の福祉事務所(行政の生活保護の申請窓口)で生活保護申請に来られた方の中で、申請段階で定住先がないという人が多数いることも明らかになっており全国調査から漏れるホームレス状態の方が多数おり、「ホームレス問題」はまだまだ解決に至っていない状況です。
こうした状況だからこそ、ホームレス自立支援法は今なお重要な役割を担っています。法律による支援の枠組みが縮小されれば、これまで積み重ねてきた支援体制が弱まり、再び深刻な社会問題を招くおそれがあります。
私たちは、誰もが住まいを失うことなく、必要な支援につながり、自立した生活を送ることができる社会を実現するためにも、ホームレス自立支援法の延長を今後も求めていきます。
⑦ あいりんセンターの建て替え
1970年に竣工したあいりんセンターは、釜ヶ崎・あいりん地域を象徴する施設でした。しかし、耐震性の問題から2019年に閉鎖されました。
大阪社会医療センターと市営住宅は、南隣の萩之茶屋小学校跡地へ移転し、旧あいりんセンターは解体されることになりました。
今後は、あいりんセンター跡地南側に大阪府が管理する労働施設、北側に大阪市が管理する福利・にぎわい機能を備えた施設が整備される予定です。また、「ワンストップ相談窓口」の設置も予定されています。
新たなあいりんセンターが、地域の歴史や実情を踏まえ、釜ヶ崎が持つ社会包摂性をさらに高める拠点となるよう、私たちは地域の声を社会へ届け続けていきます。
釜ヶ崎の課題は、この地域だけの問題ではありません。
雇用、住まい、孤立、福祉、地域とのつながりなど、日本社会が抱えるさまざまな課題が、この地域には凝縮されています。
私たちは、これまで地域の人々とともに積み重ねてきた実践を大切にしながら、一人ひとりの尊厳が守られ、誰もが地域の中で安心して暮らし、働き、つながることのできる社会の実現を目指して、これからも取り組みを続けていきます。
