序章 現状の概観と報告書の構成

バブル崩壊以降の日本経済の不況は、いまだ出口が見えず、さらに長期化の様相を呈している。今期の不況は、単に一過性の不況というのではなく、日本経済の構造変化・制度変化を余儀なくするほどの大きなものであろう。これにともない、雇用問題も深刻化している。
失業率は今年9月には5月に続いて再び4.3%を記録し、失業者数は295万人となった。また、有効求人倍率も0.49倍と、記録を取り始めた1963年以降最悪となった。とくに、近畿圏は、北海道とともに全国の中で最も厳しい雇用環境にあり、失業率は5.2%となっている(『週刊労働ニュース』1998年11月2日)。
こうした状況の中で、建設業における求人状況は急激に悪化し、仕事にアブレた(就労先の見つからない)日雇労働者が急増している。アブレが何日も続くと野宿生活を余儀なくされる。他方、建設業以外の産業でも、職を失い都市に出て野宿生活をする者が急増している。
都市生活環境問題研究会(代表 大阪市立大学教授 森田洋司)によって今年8月後半に実施された野宿生活者調査の結果では、大阪市内に野宿する者は8660名であった(大阪市立大学・都市生活環境問題研究会『大阪市における野宿者概数・概況調査』1998年11月2日、<資料2>を参照)。大阪市がこれまで公式に明らかにしていた人数が3000人、いくつかのボランティア団体が部分的な調査にもとづき推計していた人数が5000人であった。これらと比較して、8660人というのは予想を大きく上回る数値であるだけでなく、野宿生活者は釜ヶ崎を中心にして、大阪市ほぼ全域に広がって生活を営んでいることも明らかになった。さらに、野宿生活者の多くは、高齢の単身男性であることも明らかになった。
このように、近年の景気低迷による日雇労働需要の減少、日雇労働者の高齢化、野宿生活者の急増などの問題が顕在化している。
この日雇労働者・野宿生活者問題は、現代日本の大都市に共通する問題(注2)であり、日本の経済動向や現代社会のあり方、高齢化の進行など多様な要因によってもたらされたものである。また、その解決には、行政機関やこれまで取り組んできた現地の労働組合・ボランティア団体だけでなく、広く社会全体の課題として検討していく必要があるし、とりわけ同じ労働者として、また社会的連帯の立場から労働組合が積極的に関わるべき課題である。
こうした重大かつ緊急を要する問題を検討するに当たって、この報告書では、以下のような構成にしたがって、記述を進めていくことにする。

第1章では、世界とくに先進諸国における貧困とホームレス問題をめぐる現状を概観し、日本の日雇労働者・野宿生活者問題を特殊日本的なものとして考えるのではなく、世界的に共通した重要な問題として位置づけることを述べる。
第2章では、日本とりわけ大阪における日雇労働の実態とそれに対する行政施策の問題点を検討し、合わせて早急に必要とされている課題を提示する。第3章では、日雇労働者の生活実態ならびに野宿生活者の労働・生活実態を述べるとともに、現在の行政施策の問題点と課題を述べる。
第4章では、第2・3章での分析を踏まえ、あらためて日雇労働者・野宿生活者問題を理論的に把握することを試み、その上で今後の政策立案の基本的考え方を述べる。
第5章では、第4章の考え方に沿って包括的で中長期的な政策のあり方を展望するとともに、今日の事態の深刻さを考慮して、第2・3章に引き続き緊急課題にも部分的に触れることにする。
そして、終章では、そうした政策や課題を実現するにあたって連合大阪ならびに連合本部は大きな役割を担うことが期待されているが、その連合の役割について述べ、まとめとしていきたい。


第1章 現代世界における貧困・ホームレス

1.世界の貧困問題と日本
「野宿生活者」や「簡易宿所滞在者」など定住家屋を持たないいわゆる「ホームレス」は貧困の一つの現れ方であるが、こうした現象は決して日本だけの問題ではない。国際連合開発計画編『人問開発報告書 1997 貧困と人間開発』(1997年、2ぺ一ジ)によれば、世界人口の4分の1は極貧状態から抜け出せず、主に発展途上国や東欧諸国において膨大な数の貧困者が存在するという。他方、アメリカ・西ヨーロッパなどの先進諸国では3700万人以上が失業し、若年者・女性においてもホームレスが多く存在するという。発展途上国における貧困の拡大は、それぞれの国の経済発展の程度に大きく規定された問題である。この経済発展に対し、先進諸国に拠点を持つグローバル企業が大きく貢献しているが、他方で貧富の拡大に影響を及ぼしている事例もまた多い。

他方、先進諸国における貧困は、「豊かさの中の貧困」という現象として現れているが、これは単に失業等の経済的要因だけでなく人間関係の希薄化・社会的孤立などの社会的要因によるものである。ホームレスをはじめとするいわゆるアンダークラスの増加が80年代以降、大きな問題となっている。先進諸国が目指してきたこれまでの福祉国家体制は、この貧困問題をかならずしも十分に解決することができずにいる(注3)。こうした事態に対し、国連開発計画は、「先進諸国で最近貧困が再び蔓延しはじめている現実は、貧困との闘いを持続しなければならないことを我々に思い起こさせている。変化する経済メカニズムとセーフティネットを調整する必要がある」(国連開発計画編、前掲書、1Oぺ一ジ)と述べ、あらためて先進諸国における貧困問題へ関心を寄せることを喚起している。

では、ひるがえって日本社会を見た場合どうであろう。多くの市民は、マスコミによって報じられる発展途上国の貧困問題については多くの理解を示し、救済・援助に共感を抱いている。財団等によって途上国援助が多く実施されているだけでなく、労働組合・ボランティア団体などによる途上国への援助、そして郵便局の国際ボランティア貯金などに多くの市民は共感を抱き、参加する者も多い。

このように遠くの貧困が「近い存在」として認識されているが、ではこの日本に存在する貧困問題、野宿生活者問題に対し、どれほど多くの市民が関心を持ち「近い存在」として認識しているのであろうか。この一見「豊かな」社会である日本に暮らす市民の多くには、「まじめに働きさえすれば、なんとか暮らしていけるはず」という思いがある。その視点からは、「貧困は本人の努力が欠けているからだ」という結論しか導き出されない。こうして、日本社会では、貧困そして野宿生活者は「遠い存在」として、また路上で寝ている野宿生活者の姿は“一つの風景"としてしかみなされず、社会問題として真剣に認識されてこなかった。

しかし、近年の不況の深刻化によって、野宿生活で暮らしているのは、建設業日雇労働や古紙や空き缶回収で働く多くの労働者たちだけではなくなっている。失業者の増加、そして経済・生活問題を理由とした自殺者の増加(1997年は前年度比17.6%という急増、『日本経済新聞』1998年6月12日)と相まって、ごく普通の勤労者が野宿生活化していくケースも増えている。勤労者を取り巻く事態もまた、一層深刻化しているのである。

言うまでもなく、野宿生活者の多くは、経済的・社会的要因によって貧困状況に陥っているのである。しかし、こうした野宿生活化の要因が本人に責任があるものと見なす認識は、行政施策にも反映され、日本では、政府は全くの無為無策であったし、自治体の諸政策にも多くの限界を持つことになった。野宿生活者の増加ばかりで、減少の兆しが全く見えない今日、行政の施策は新たな飛躍が求められているのではないだろうか。また、市民一人一人が、世界の貧困問題についてと同様に日本国内における貧困や野宿生活者問題についての認識を深め、社会連帯的な取り組みを行うことが求められているのではないだろうか。
さて、日本の野宿生活者の現状把握とそれに対する施策の検討を行うに先立って、それを相対化する視点を得るために、ひとまず諸外国の取り組み事例を概観しておこう。

2.先進諸国における失業・ホームレス問題との闘い
野宿生活者や路上生活者についての概念規定の議論はひとまず置くとして、一般に英語で「ホームレス」と呼ばれる人々の増加が先進諸国で大きな社会問題となっている。しかも、それが当事者と行政だけの問題といった枠を越えて、広く社会全体の問題として認識され、取り組みが行われている。たとえば、インターネット上の「ホームレス」に関するホームページを検索すると(ここではYahooを利用)、日本Yahooではわずか6サイトしか存在しないのに対し、アメリカYahooでは468サイト、イギリスYahooでは436サイト、フランスYahoo(フランス語ではsans domici1e fixe)では154サイトが存在する。
これらの事実が物語るのは、もちろん欧米諸国におけるホームレス問題の深刻さであるが、それにとどまらずホームレス問題に対する社会の認識度の違いであり、社会的闘いの層の厚みの違いである。

さて、研究会では、こうした欧米諸国の取り組みについて学習するために、都留民子氏をゲストに迎えフランスについて報告をいただいた。都留氏の報告を要約すると以下のようになる。

フランスでは、80年代半ば以降、固定的・世代継承的な従来の貧困者(「浮浪者」「物乞い」)などに替わって、労働市場の危機(不安定雇用・失業)、社会保障水準の低下そして家族問題から生じたホームレスが増加した(注4)。こうした問題を「新しい貧困」の形態としてとらえ、「貧困(=所得)」問題としてだけでなく「排除」の問題、すなわち労働市場、住宅、社会関係、社会的権利等からの排除の問題としてとらえられている。したがって、ホームレスに関する諸政策も基本は「社会参入」支援に置かれている。

政府による失業扶助、医療扶助はもちろん、ボランティア団体による「人民スープ」「心のレストラン」などの名称の炊き出しが行われてきた。そうした中で特に注目すべきものは、宿泊所・居住場所の確保への取り組みである。また、行政機関とボランティア団体の協力関係がきわめて緊密なことも指摘しておかなければならない。
カトリック救済会等民間団体を通じて国家からの多面的な援助が行われているが、これ以外にも、たとえばパリ交通公社ではいくつかの駅の夜間開放(テレビなどで案内)を行っており、パリ市では「社会福祉緊急援助」(SAMU sociaux)として、看護婦とソシアルワーカーがワゴン車に乗り込み、連絡先となっている商店、喫茶店、レストラン、ホテルなど(boutique solidalite')からの通報により極度に衰弱したホームレスの救済(94〜95年で15000件)を行っている。この他、国鉄では労使が協力して連帯委員会を創設し、駅や車両の開放、食糧・医療の給付、就職斡旋などを行うとともに、研究者を組織して情報を収集し、それを行政、援助団体、研究者に提供する雑誌の発行を行っている。このような社会的連帯の取り組みは他にも多く存在する。
また、ホームレスの人々や失業者によって結成された新しい形態のアソシエイション(共済的な組織)があり、自ら「路上新聞」を発行(主要新聞6種、『マカダム』は数十万部(注5))したり、住宅要求運動などを展開している。
政府の施策でも、日本では見られない新しい取り組みが実施されてきた。それらを一つの法体系の中に位置づけるための議論が、ここ10年ほど前から始まっている。こうした動きを受けて1996年5月ジュベ首相は「社会的結合強化法」案(選挙権の付与、雇用・職業基礎教育、医療・住宅など8領域での施策)を作成し、さらに97年5月にジョスパン社会党内閣が登場すると、「社会的結合法」を一歩押し進めた「社会的排除に抗する法」案の作成準備を進めた。この法案に対しフランスの新聞『ルモンド』は、「フランスは、社会的排除に対する包括的法案を採択したヨーロッパ唯一の国となる」と高く評価した(Le Monde,1998年5月21日)。この法案は、部分的修正を経て、最終的には1998年7月国民議会で可決された(巻末の<資料3>を参照のこと)。

これらの施策の基本は、ホームレスの「社会への再参入」を支援することにあり、それに向けて政府・自治体そしてボランティア団体がそれぞれの役割分担にもとづき行動していることにある。また、居住権の確保が重要な課題として取り上げられている点が、日本と異なっている。
このように、フランスそして先進ヨーロッパ諸国でのホームレス問題への取り組みは、日本に比べ相当質の高いものとなっている。また、市民に対して、「社会的結合」「社会的連帯」といった言葉で、常に理解と関わりを求めていることも注目しておきたい。
しかし、こうした注目すべき取り組みは、国家政策レベル、市民レベルいずれにおいても、ホームレスに対する社会的排除と社会的連帯の取り組みの激しいせめぎ合いの中で闘いとられたものであることも忘れてはならない。
さて、日本では、野宿生活者(広くホームレス)に対する施策、またボランティア団体等の取り組みは、どのようになっているのだろうか。こうした問題を考えるに先立って、まず、野宿生活者、そしてその多くが建設日雇労働者であったことから彼らの労働・生活の実態についてまとめておこう。