く資料2>大阪市における野宿生活者の実態調査(1998年8月)について
大阪市は、急増する大阪市内の野宿生活者に関する実態調査を大阪市立大学に委託し、これを受けて大阪市立大学は都市生活環境問題研究会を組織して、1998年6〜8月(本調査8月)に調査を行った。この調査には、教員・学生・諸団体所属の人たち、市民だけでなく、連合大阪傘下の多くの労働組合員も調査ボランティアとして協力を行った。
以下は、それを報じた新聞各紙の記事である。
大阪にホームレス8600人
市が調査「東京より多く対策急務」
大阪市全域を対象にした野宿生活者(ホームレス)の概数と概況調査の結果が二日、まとまり、大阪市内で約八千六百人が野宿生活を余儀なくされていることが分かった。こうした調査は初めてで、市は「結果を『多い』とか『少ない』と分析することはできないが、早急な生活対策が必要」と話している。
長引く不況の影響を受け、大阪中内では、公園でテントを張るなどして暮らす野宿生活者が増加する傾向にあることから、市は今年五月、「大阪市野宿生活者問題検討連絡会」を設立。生活実態をより正確に把握しようと、大阪市立大学に調査を委託した。
市大では、行政機関などの資料を元に聞き取りや予備調査を行ったうえ、より精度を高めるため、日本で初めて、夜間時間帯についても調査。事前の調査を含め、今年六月初めから八月末までの約三カ月間に、のべ約七百六十人が調査にあたった。
調査の結果、全市域での野宿生活者は八千六百六十人で、テントや小屋掛け、段ポールなどを住居としている定着型の野宿生活者が二六%に上っていることなどが分かった。
東京都がJRなどと協力して八月に行った調査では、東京二十三区の野宿生活者は約四千三百人。市では東京の調査は昼間のみで、調査方法が違い単純な比較はできないとしながらも、「野宿生活者は東京都より多いと言える」と分析。さらに「市町村レベルを超えた国などによる生活対飯が必要」と話している。
11月3日産経新聞
大阪市 路上生活者8600人
東京23区の倍 中心部5区に8割
大阪市内の路上生活者が約8600人に上ることが2日、市の実態調査で分かった。東京都も23区内で路上生活者の昼間調査を実施しているが、夜間も含めた本格的な調査は全国で初めて。大阪市は「基礎データとして施策の立案、実施に役立てたい」としている。
調査は市が大阪市立大学に委託。同大学のほか京阪神の4大学の教員・学生、労働組合員など延べ760人が8月下旬の計8日間、昼間と夜間に分けて市全域を歩いて調べた。
調査結果によると、全市域の路上生活者は8660人。うち約8割が中心部の西成、濃浪速、中央、天王寺、北の5区に集中していた。テントや段ポールハウスなどを住居とする「定着型」が26%を占める一方、5割は新聞紙などを敷いたり、ベンチで寝泊まりしていた。
東京都が今年8月に実施した23区内の調査で把握した路上生活者は約4300人。夜間調査をしていないため単純比較はできないものの、大阪市は2倍に達している。市民生局は「今後は生活実態や健康状態などの調査も検討したい」と話している。【松本 泉】
11月3日毎日新聞
全区に“居住” 総勢8600人
ホームレス日本一多い 大阪市
大公園に集中、東京23区の倍
大阪市内の公園や路上で暮らすホームレスが八千六百六十人にのぼることが、同市が二日発表した調査結果でわかった。人数を把握しやすい夜間に調べたもので、昼間に調査した東京都は今夏、二十三区で四千二百人と発表している。大阪市は「恐らく大阪が全国で一番多い」としている。
今年八月、学生ら延べ七百六十人を動員、夜間に公園や商店街など百か所で数えた。二十四区すべてで確認。あいりん地区のある西成区が千九百十人と最も多く、周辺の浪速、中央、天王寺、阿倍野の四区を加えた五区では計六千百十七人で、全体の七割を占めた。
大規模公園に集中しており、天王寺公園四百三十人、大阪城公園三百六十人、長居公園三百十三人など。テントや段ポールハウスといった定着型も四分の一にあたる二千二百五十三人にのぼった。
市は、五千人程度という事前の予想を大きく上回ったことや、全区で確認されたことを重視。「長引く不況で増加している。今後、彼らの要望を聞き取り、対策を検討したい」とする一方、国に国庫補助制度の創設を強く働きかける。
1998年11月3日読売新聞
不況列島
大阪市内の野宿生活者
仕事なく京都から「古巣」へ/家賃1日1400円払えず
寒空に8600人
大阪市内の野宿生活者が八千六百人にのぼることが、市が二日にまとめた初の調査でわかった。東京二十三区は同じ時期の都の調査で四千三百人。大阪市が夜、都が昼と調査方法に違いはあるものの、大阪市の数の多さが目立っている。景気回復の気配もないまま、野宿生活者に厳しい季節が近付いている。
大阪市西成区の南海本線のガード下で二日夜、寝床の準備をしていた男性(五六)は八月に京都から「古巣」に戻ってきた。四年間いた京都で仕事がなくなったからだという。だが、大阪にも野宿生活者があふれ、仕事がない。ガード下とあいりん労働福祉センターを往復する毎日だ。
東海道新幹線のトンネル工事に携わったのが自慢だ。「仕事さえあれば、若いもんにはまだ負けへん」と腕をたたく。冬が近づいているので、最近はテントを張れる場所を探すのが、新たな日課になった。
あいりん労働福祉センターの前でたぱこをふかしていた男性(六一)は、九月まで簡易宿泊所にいた。仕事がないために一日千四百円の家賃が払えず、路上での生活を始めたという。先月、仕事に就けたのは二日、月収は一万五千八百円だった。
不景気が響き、仕事場に連れていってくれるマイクロバスもほとんど姿を見せない。「こんなひどい不況は初めてや。せちがらいな
あ」と何度も繰り返した。楽しみは配給される食事と競馬だけという。
電気街として知られる大阪市浪速区の日本橋では、段ボール箱で寝床を用意し終えた男性(五六)が夕食の乾パンをかじっていた。
「公共工事がなくなって建設会社が仕事を発注せん。とぱっちりはわしらに来る」と嘆く。二十年以上も建設現場で働いてきたが、二年ほど前から仕事が急に減り出した。ここ半年は全く仕事がないという。
梅田などで1000入超す
大阪市の調査は、大阪市立大に委託し、八月下旬の四日間、午後十一時から午前四時にかけて実施した。
その結果、全市の野宿生活者は八千六百六十人と確認され、五千人程度という同市の予測をかなり上回った。あいりん地区を抱える西成区を中心とした天王寺・新今宮駅周辺だけで三千五百人を数え、梅田や難波といったターミナルのある北区や中央区で千人を超えた。過去あまり報告がなかった市東部や臨海部を含め、市内全区に野宿生活者がいることもわかった。
敷物やベンチで寝ている人が半分で最も多く、テントや小屋、段ポールの家で生活する「定着型」が二六%。何もなしで寝る人が一〇%、布団、ベットなどの利用者が七%いた。天王寺・新今宮駅周辺では密度が高いためか「敷物、ベンチ」が七割を占め、大阪城公園などでは大部分が「定着型」だった。
1998年11月3日朝日新聞