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釜ヶ崎における福祉型自立の障壁と課題
by Naoko Kawamura
>>   はじめに  第1章-1  第1章-2  第2章  第3章  第4章  おわりに  文献:DATA >>続き:第1章 現状の認識 第3節 社会保障制度 社会保障制度とは、国家が、国民のすべてに対して、社会の責任において、その最低生活を保障する制度である。 日本国憲法は、第25条第1項において、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」として、生存権を保障している。また、第2項において「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及ぴ公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」として、社会保障についての国の責務を定めている。 日本の社会保障制度は、社会保険・公的扶助・社会福祉・公衆衛生の4分野からなっており、その申で、最も中核的な位置を占めるのは、社会保険制度である。社会保険制度には、医療保険・年金保険・雇用保険・労働者災害補償保険・介護保険の5部門があり、拠出者(メンバー)の不慮の事態に対して、拠出者全体でその負担を背負うという、メンバーシップ制をとっている。つまり、社会保険における給付は、拠出に対する反対給付なので、その性質上、排除原理を持つ。こうした、社会保険に加入する為の拠出条件を満たすことのできない人々、社会保険によって保護されない生活困窮者に対して、国家がその生存権を保障するため、必要な所得を扶助することを公的扶助といい、生活困窮者の生活保障とその自立を目的に、1946年に制定されたのが、生活保護法である(1950年に全面改訂され現在に至る)。公的扶助には生活・教育・住宅・医療・介護・出産・生業・葬祭の8種があり、財源は全額国庫負担である。 前節でみてきたように、日雇労働者から野宿者への「転落」過程において、大きな要因となるのは、社会保障の欠落であった。釜ヶ崎労働者が野宿労働者へと移行し、さらに野宿の長期化により労働能力を失っていく過程では、一般に、失業給付である「日雇労働求職者給付金」の給付期間終了、公的年金制度からの排除、さらに、公的扶助制度からの排除という形で、社会保障制度の(不備の)不利益を被っている。裏を返せば、これらが整備されていれば、たとえ不安定な労働市場が存在しても、現在のような野宿者急増の事態に直面することはなかったといえる。本節では、上記3分野の社会保障制度について、その問題点をとりあげる。 1 雇用保険制度 建設業目雇雇用保険制度は、一般の雇用保険制度に比べ、特殊なものとなっており、失業目の前2ヶ月間にわたり、計26目の就労日数を満たさなかった者は、雇用保険の対象から外されてしまい、失業給付が支給されない。さらに、26目以上の就労機会を得ることができた労働者に対しても、給付期間は13日間という極めて短いものである。 日本の雇用保険制度は、短期的失業対策の性格をもち、雇用保険法20条により、受給期間は1年以内に限られている。日雇雇用保険制度は、日々雇用という就労形態に規定されて、通常の雇用保険制度よりもさらに、短期的失業対策の側面を全面に押し出された形になっている。しかし、このような短期失業給付は、高齢労働者の構造的失業に対しては、何の効果も持っていない。彼らは高齢ゆえに、就労自体から排除されているのである、下のグラフが示すように、失業期間1年以上の者が労働力人口に占める割合(長期失業率)は、急速に増加しており、今後の高齢者人口の増加を考慮すると、雇用保険制度の体系それ自体を見直さねぱならないといえる。 ● グラフ:完全失業率と長期失業率の推移 / グラフ:年齢階級別有効求人倍率の推移 2 公的年金制度 今日の日本社会において、公的年金は、その寡少に関わらず、高齢者の経済生活を支える最大の収入源として捉えられている。しかしそれは、公的年金が「最低限度の生活」を保障することを意味しているのではない。日本の年金制度は、非常に大きな給付額の格差を内包しており、格差構造の底辺部分には「最低生活」を送ることのできない高齢者が大量に存在している(11)。99年の老齢基礎年金(国民年金)等平均年金月額は、4万9,000円であり、その額は、最低生活費基準とされる生活扶助費(65歳単身高齢者で大阪市80,410円)よりも低い。さらに、国民年金の保険料は、月額13,300円と高額である。 ● 表:公的年金制度の受給者数・平淘受給額等(99年3月末現在) 一方で、厚生年金受給者の平均月嶺は、18万6,OOO円である。しかし、厚生年金自体、その中に格差を抱えている。94年の研究によれば、女性受給者の3人に1人が、月額約2〜3万円、男性のほぼ4人に1人が、約3〜5万円の年金しか受給していない。こうした年金受給額格差は、公的年金制度が求める拠出期間の長さに依拠している。公的年金制度の受給資格を得るには、厚生年金で20年間、国民年金で25年間という、極めて長期にわたる拠出期間を満たさなければならない。つまり、長期の拠出期間(労働生涯)を、景気変動による解雇や失業・転職を経験せずに過ごせた幸運な者のみが、公的年金制度によって「最低生活」を保障される、ということができる(12)。すなわち、雇用の不安定な中小零細企業の労働者が、公的年金制度によって「最低生活」を保障される可能性は、極めて低い。長期の拠出期間と保険料の高さ(自己負担率の高さ)は、多くの無年金者を生む原因にもなっている。 釜ヶ崎支援機構における聞き取りでは、ほとんどが無年金者である。その中で、1割の高齢野宿者が、十数年の年金拠出を果たしており、また、初職あるいは数年間の企業勤めの期間で、年金を掛けた経験のある者を合わせると、全体の4分の1に及ぶ。しかし彼らは、その拠出期間の短さと、給付手続きの煩雑さゆえに、給付制度からは全く排除されている。 さらに、日雇労働者に対する公的年金制度の構築は、明らかに無視されてきた。1955年にスタートした「国民皆保険・皆年金」計画は、その運用に際して、職域や地域の帰属証明を前提とした。住居の安定しない(ドヤに住む、あるいは飯場を渡り歩く形態をとる)日雇労働者を、制度的に社会保障から排除してきたのである(13)。 3 公的扶助制度(生活保護) 公的扶助と社会保険の、主な相違点の一」つに、社会保険が、貧困な生活状態への転落を未然に防止する、防貧的機能をもつのに対して、公的扶助が、資力調査による困窮の確認後、最低限度の生活に必要な給付を事後的に行う、救貧的機能をもつことが挙げられる(14)。しかしこれまで見てきたように、社会保険は、十分に防貧的機能を果たしているとはいえない。このような現状に際して、最後のセイフティ・ネットであり、社会保険の補完的機能をもつ公的扶助の役割は、重要度を増している。しかし現実には、公的扶助は、社会保険以上に機能していない状態にある。 全国で3万人近くに達する野宿を強いられた人たちが、憲法第25条に定められている「健康で文化的な生活」を営んでいないのは明白であり、国は公的扶助によって、野宿者を救済する責務を負っている。なぜ彼ら/彼女らは、生活保護を受けることができないのか。生活保護法は、ラスト・セイフティネットとしての機能を果たすことのできない、穴だらけの法律なのだろうか。 生活保護法は、「すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護を、無差別平等に受けることができる」(第2条)として、無期11平等の原則を定めている。この、法の定める要件とは、「生活に困窮する者が、その利用しうる資産、能力の他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用すること」(第4条)である。これは、申請者の可稼能力を問うものではない。厚生省保護課は「真剣に努力しても仕事のない人は保護対象となりうる」という見解を示しており(15)。2000年3月の厚生省社会・援護局主管課長会議でも「稼働能力を活用するために努力していることが認められるのであれば、もとより保護の要件を欠くわけではない/就労能力の活用を支援し指導しつつ、稼働能力を有する要保護者について保護を適正に実施されたい」という指摘がされている(16)。 さらに法は、居住地がないか、明らかでない者に対しても、保護を実施する「現在地保護」(第19条)を規定しており、住所不定者に対する保護実施を排除しない。また、第30条1項は「居宅保護の原則」を、第9条は「必要即応の原則」を定めている。 つまり、生活保護法それ自体は、すべての国民に開かれた、進歩的な社会保障法なのである。ということは、野宿者の放置をもたらしているのは、法そのものではなく、違法な運用のされかたということになる。 大阪市立更正相談所がとっている収容保護主義は、明らかに生活保護法第30条に抵触している。住所不定者を対象にした実施機関であるにも関わらず、住所不定を理由に居宅保護を実施しない(第19条に抵触)。疾病がなければ保護を開始しない(第2条、4条に抵触)。診断書がなければ、保護開始申請さえ行うことができず、「生活相談」として扱われる(第24条1項、行政手続法7条viiiに抵触)。また、従前、施設保護から居宅保護への移行を認めず、退院・退所即保護廃止(第56条kに抵触)を行ってきた。 生活保護施設の設備・収容人数は、法の定める最低基準を大幅に下回る劣悪な環境にあり、第1条の定める「自立の助長」を達成できる状態ではない。施設の数は圧倒的に不足し、定員超過が常態となっており、自立促進のプ回グラムは組み立てられていない。こうしたことから、施設から野宿へ戻ってしまう割合が圧倒的に多い(17)。 このような、市更相による、生活保護受給権の侵害と人権侵害に対して、現在、金一ヶ崎医療連絡会欝の支援をうけて、2件の裁判が進行中である。 なお、市更相は、96年末、医療連が支援していた入院中の被保護者に対して、敷金を支給して居宅保護を認めたのを皮切りに、98年度から、わずかながら入所・入院中の被保護者の居宅保護への移行を行っている。しかし、その数は、月10件程度にとどまっており、居宅保護への移行を求める人々の数には到底及んでいない。 こうした違法な生活保護法運用を許しているもの吾ま何であろうか一ホームレス間.一題と人権」(近畿弁護士会連合会人権擁護委員会p72.2000年12月1目)によれば、その原因は、生活保護行政が、厚生省による細かな告示、事務次官通達、社会援護局長通達、社会援護局保護課長通達などの指導を受けて実施される中で、厚生省が、住所不定者に関しては明確な方針を示さなかったことに求められる。同報告によれば、厚生省のこうした消極的な姿勢が、各実施機関における生活保護実施の抑制を許し、各地方の実情に甘んじた法外援助を中心とした施策が行われるようになったのである。 厚生省は、1965年まで、被保護世帯の平均消費水準以下の生活水準にありながら、≡.(いわば権利放棄をしている「低所得水準世帯」の推計を行っていたが、それ以降は実施していない(18)。(つまり、被保護世帯と同等もしくはそれ以下の水準にありながら、生活保護を受給していない世帯の漏給について、最近の具体的な数値は発表されていない。しかし、この種の先行研究によれば、1982年の捕捉率は24.3%、漏給率は75.7%である(19)。保護を受けるべき世帯のうち、4分の3が、生活保護というラスト・セイフティネットから排除されている。) 81年には「生活保護の適正実施の推進について」と題する123号通知が出され、申請意志の萎縮化による生活保護の抑制化が図られている。また、厚生省は85年から、監査指導の重点項目として「相談開始段階における助言指導の徹底及ぴ自立助長の推進」を挙げており、生活保護申請時において、「指導」により保護開始を避けようとする行政側の意図が例える(20)。 こうした、生活保護施策全体の縮小化の流れのなかで、さらには、85年に地方自治体の保護費負担率が20%から25%へ増加する中で、各地方自治体の下にある生活保護実施機関に、野宿者への保護開始をなんとか拒もうとする態度が形成されていったとしても、不自然ではない。つまり、野宿者に対する「住所不定」ゆえの、公的扶助からの排除の根底には、公的扶助制度そのものの縮小化がある。 ● 表:生活保護被保護人員と保護率の推移
※「その他の世帯」が28年聞で激減(一11.8%)している。高齢者世帯と傷病・障害者世帯が全体の85%を占めており、それ以外の世帯に対して保護制度がほとんど機能していないことが分かる。 ※注
i 第一次「暴動」後の1966年5月、大阪市・大阪府・大阪府警察本部が構成する釜ヶ崎対策に関する「三者連絡会議」において、それまで通称「釜ヶ崎」と呼ばれてきた地域の統一呼称として「あいりん地区」を使用することが決められた。しかし呼称変更にあたり、治安対策上の視点が重視されたこと、改称によるイメージ・アップという安易な行政側の意図、いまだこの呼称が地区住民とくに貝層労働者・野宿者に浸透していないことなどの理由から、本論では「釜ヶ崎」の呼び名を使うものとする。
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