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会報 NPO釜ヶ崎 36号

目次

大同生命厚生事業団・地域保健福祉研究助成
治療を中断したアルコール依存症者に対する再介入の技法の開発 -具体的な事例を用いて-

福祉相談部門が事業をはじめ7年目を迎えた平成18年度、日常業務におわれ今まで行ってきた支援内容を顧みることが全くなかったわけではありませんが、一度立ち止まって整理・検討する必要があるのではないかと3団体助成金を申請して、3団体から助成金を頂くことになりました。詳細はHPを参照(http://www.npokama.org/welfare/joseikin/index.html)していただくとして、今回は、すでに報告書を提出した、財団法人大同生命厚生事業団「地域保健福祉研究助成」(平成18年9月22日決定、助成金50万円)について、その内容に加筆・修正したものを会報に紹介させて頂きます。

報告書の内容に入る前に、なぜこのテーマを選んだのかを簡単に説明させてもらいます。研究代表者は私になっていますが、このテーマの提案者は共同研究者である同僚のスタッフでした。今までの事業報告にも繰り返し書いてきましたが、アルコールの問題を抱えている相談者が「最近」実に多い。しかし、「最近」増えたのでしょうか。それは違うのではないか…。以前からアルコールの問題を抱えている相談者はいたものの、支援者側のアルコール依存症に対する意識が低かったのではないだろうか。具体的には、幻聴や幻覚があるアルコール性精神病の相談者が来たときは精神科の病院に入院をすすめていましたが、アルコール依存症を通院で治療していくということは考えていなかったのではないだろうか。それと同じことが、一部の施設を除いて、行政側にもあったのではないか。何度も施設入所をしては飲酒退寮を繰り返す、「飲酒してはだめではないか」と言っても、アルコール依存症の治療につなげる介入はしてきただろうか。

相談業務を続けていくなかで、支援者側にもアルコール依存症の知識が少しずつですが増えてきました。アルコールの問題を抱えている相談者が来たときは、まず飲酒歴をしっかりきいて、アルコール依存症専門の病院に通院(小杉クリニック本院)、もしくは入院(新生会病院)、治療することをすすめることが、今後の生活の支援の基本であると考えるようになりました。ただ、私たちが関わっている相談者の中には、なかなか治療につながらない、治療につながったとしても中断する場合が少なくありません。そして結果的に死に至る場合もあり、どうしたら死から遠ざけることができるのか悪戦苦闘の日々が続いています。うまく治療につなげられなかった事例(単身・高齢・男性)について、医療や福祉の専門家だけにとどまらず、いろいろな人たちと一緒に考えたいと思いこのテーマになりました。

財団法人大同生命厚生事業団には、今までの支援について振り返る機会を提供して頂いたことを感謝しております。その過程で、福祉相談部門の日常業務とは、「何もできない」無力さを感じることの繰り返しだったと再認識しました。NPO釜ヶ崎支援機構福祉相談部門は、社会資源の一つとして認知され存在していますが、まだまだ発展途上です。(福祉相談部門:尾松)


治療を中断したアルコール依存症者に対する再介入の技法の開発
-具体的な事例を用いて-

NPO釜ヶ崎支援機構福祉相談部門 尾松郷子

  1. アルコール依存症とは
  2. アルコール依存症者と言われて一般の人たちはどのようなイメージをもつでしょうか。「朝からお酒を飲んでいる」「手が震えている」などの行動を、「怠け者」「意志薄弱者」という精神面でマイナスイメージが浮かんできて、その原因を「自業自得」「逃避」と考え、様々なスティグマを伴うのではないでしょうか。またアルコール依存症と医師から診断を受けた本人たちも「だめ人間」のレッテルをはられたと思う人が大半を占めるのではないでしょうか。

    そもそもアルコール依存症とは精神疾患の一つで、アルコール飲料を長年飲酒し、習慣性が生じ、飲酒が自分の意志でコントロールできなくなる症状(精神的依存)、震顫妄想などの離脱症状(身体的依存)があらわれ、ついには心身や社会問題(人間関係の破綻など)に至る病気です。そして一度アルコール依存症になると、その回復はあっても治癒はない病気なのです。

    このようにアルコール依存症を説明すると、「恐ろしい」病気と思うかもしれません。また、自分はお酒を飲むがここまではいっていないので「めずらしい」病気と思うかもしれません。しかしながら、日本の飲酒人口は一般に6000万人程度と言われていますが、このうちアルコール依存症の患者はWHOによると220万人程度であると言われます。実に飲酒者の26人に1人がアルコール依存症という、「飲酒していたら誰にでもなる可能性がある病気」と言えばいいすぎになるかもしれませんが、めずらしい病気でないことがわかるでしょう。

  3. アルコール依存症の典型的な治療方法
  4.  アルコール依存症の治療とし、他の精神疾患と同様入院治療という方法がまず考えられます。しかしそれは、急迫性を要する期間のものだけであって、精神科病院に「入院させて」おけば飲酒することができない環境をつくることはできても、退院したら再飲酒して再び精神科病院に入院になるケースがみられます。野口裕二が『アルコホリズムの社会学−アディクションと近代』(1996,p.10)の中で「専門病院で何もかも処理しようとする「病院完結主義」から脱して、地域のさまざまな援助主体の緊密な連携に基づく「地域連携主義」へと移行してきた。」と述べているように、退院後も、もしくは入院を必要としない場合においても、地域で生活しながらどうやってお酒をやめ続けるかというこが治療の課題となってきました。現在ではセルフヘルプ・グループ、A.A(Alcoholics Anonymous:匿名酒害者の会)、断酒会がその重要でなおかつ中心的な役割を担っています。

  5. NPO釜ヶ崎支援機構がつけたアルコール依存症への治療の道筋
  6. NPO釜ヶ崎支援機構は、大阪市西成区の「あいりん地区(釜ヶ崎)」にその事務所を構えています。釜ヶ崎は、東京の山谷、横浜の寿、名古屋の笹島と並び、全国でも有数の寄せ場(日雇い労働市場)です。しかしながら、最近では「寄せ場の弱体化」が言われるようになり、元建築日雇い労働者(単身・男性)が加齢のため仕事ができなくなり生活保護を受給している街という顔もみせるようになりました。NPO釜ヶ崎支援機構福祉相談部門はこの街で居宅保護に限ったことではありませんが、生活保護の相談を中心によろず相談所として業務を行っています。居宅保護の申請の手伝いをするなかで、今までの職歴、家族関係、既往歴はもちろん、今後心配なこととして債務(金銭問題)、飲酒歴など聞き取りを行います。

    建築日雇いをしていた頃の話をきくと、その飲酒歴におどろかされることがあります。仕事がある頃は、朝まず仕事に行く前にビールを1本飲んで現場に行き、帰りの車のなかでビールを2,3本、もどってきて夕食をとりながら日本酒を立ち呑み屋で2,3合のみドヤ(簡易宿泊所)に泊まってと、そして景気が悪くなったことや年齢が原因で、仕事がない日は朝から飲酒するようになり酒量が増え、仕事がなくなって野宿せざるをえない状況になったら外で寝る恐怖心を消すため、一時の暖をとるためなど理由はいろいろありますがアルコール度数の高い焼酎を2,3合飲んで寝るようになります。その結果すでに身体的にも精神的にもアルコールに対して依存している状態で相談に来られます。

    そこで問題飲酒のある相談者に対して、居宅保護申請の前にアルコールの話しをはじめると、「他の人が飲んでいるのになぜ自分だけ」とまず否認から始まります。そして飲酒の上でけがをしていたとしてもなかなか病識がもてず、飲酒してはいけないと思いながら何らかの理由をつけて飲酒をし、そして「好きで飲んでいるわけではない」と言い訳をします。

    一方アルコール依存症から回復するためには、「底つき」体験(アルコールのために、仕事・家族などすべてを失い生きる望みも失うほどの体験)が必要と言われますが、釜ヶ崎での「底つき」は「死」を意味することが多々あります。

    最初相談業務をはじめた頃には、スタッフの力量不足でアルコール依存症に対する適切な介入ができなかったために、生活保護費をもったがために連続飲酒発作をおこし、ひとり暮らしの部屋の中で亡くなっていたというとりかえしのつかない経験をしました。そこでアルコール依存症の話をする最初の人間(NPO釜ヶ崎支援機構のスタッフ)が正確なアルコール依存症の知識を持つための勉強からはじまりました。そして「底つき」体験を経験してからではなく、その前にいろいろな角度でアルコール依存症の治療につなげる方法を模索しました。

    最初からアルコール依存症(精神科)の治療に同意してくれる人はいないので、釜ヶ崎地区内にある無料低額診療所(保険がなくても受診することができる病院)=大阪社会医療センター付属病院の内科受診をすすめます。採血をすることにより、内臓疾患(肝臓、胃、血糖値など)の状態を数値から本人に不調があることを認識してもらいます。さらに、生活ケアセンター(大阪市内の住所不定者のうち、短期間の援護を必要とする人等を一時的に入所させることによって心身のリフレッシュの場を提供している施設)に入所することによりアルコールを体からぬき、何度も話しをすることによりアルコール依存症がどのような病気なのか相談者に伝えます。得たアルコール依存症の情報の中に(例えば足がつる、指先の神経が鈍いなど)自分にも当てはまる部分があることを考える時間がもたれます。そして同時に離脱症状(特に不眠)がでてくる、もしくは再飲酒してしまいアルコールに対する無力さを感じ、大阪社会医療センターの精神科受診、精神科の医師からアルコール依存症なので専門の治療が必要ではないかと言われ、通院せざるをえないかと「渋々」受入れることになります。治療することの確認をしたら、まず専門病院の予約、そして相談者の大半は野宿者であるため、居宅の確保、生活保護の相談、通院の援助など、相談者の生活面全般に関する支援が始まります。初回の専門病院の受診までに飲酒に関する詳細な聞き取り(飲酒量、飲酒頻度、飲酒にまつわる失敗など)をし、初回受診は同行をします。また最初だけではなく、単身者であることを考えると家族にはなりえませんが、通院が途絶えた場合、飲酒して釜ヶ崎支援機構に来られたとき、専門病院のスタッフをはじめ福祉事務所のケースワーカーと連携をとりながら再通院の援助などもおこなっています。少しの援助により専門病院に再度通院することになれば、たとえスリップ(再飲酒)することがあったとしても、釜ヶ崎において「模範的」なアルコール依存症者なのです。

  7. 典型的な治療方法では包摂されないケースをどう援助していくか
  8. 「模範的」なアルコール依存症者は専門の病院への通院、断酒会、A. A、作業所など治療のプログラムをすすむことができます。しかしながら、私たちが関わっている相談者の中には、一度は専門治療のプログラムにつながるも、支援者や受入れ側の問題も含めて治療を継続できない困難なケースが多々あります。以下では具体的に、断酒に成功した事例1つ、失敗してしいる事例1つ、計2つの事例を紹介しながら考察していきたい。

    • ① O氏 男性 60代前半
    • もともとO氏は、野宿をしている50代後半から「100円(=ワンカップ)おじさん」として、事務所の近所では顔をしらない人はいないほど有名であった。飲酒しては、通行人にお金をもらい連続飲酒、結局体調を壊し救急搬送され、何度も入退院を繰り返していた。しばらく顔をみないので心配していたところ、アパートを借り生活保護をうけているということがわかった。しかし「アルコール性肝炎」という病名がついているにもかかわらず、福祉事務所のケースワーカーも保健師も、アルコール専門の病院につなげることをせず、久しぶりに街で見かけたO氏は飲酒してブラックアウトし(記憶がない状態)尿失禁をしてズボンがぬれており、とても部屋をかりて生活保護をうけているようには見えなかった。後日アルコールがぬけているときに本人と話をしてアルコール専門病院に通院することを約束、初めての介入を行う。そしてそれと同時に1日ずつお金を渡す金銭管理も始めることとなる。

      しかしその後も飲酒は繰り返され、保護費を一人で受け取っては飲酒して紛失する。また治療の一環である、集団療法、ミーティングにも参加していないことがわかった。ミーティングで指名されて発言することがうまくいかない、みんなに馬鹿にされているような気がする、内容が理解できない、などの理由で参加していないということを本人からききだした。もともと療育手帳を所持することはしていないが軽度の知的障害があり、さらに長年の飲酒による物忘れもひどく集団療法での治療は難しかった。

      同年12月そのような状態で、アルコール専門病院のプログラムが一通り終わったので、次のステップとして作業所通所を病院のショーシャルワーカーからすすめられた。しかし利用できる作業所は限られており、見学の日に姿を見せず、連続飲酒が続き、「全額金を返せ」と金銭管理に対する不満をNPO釜ヶ崎支援機構の事務所前で叫び、スタッフと取っ組み合いになることをもしばしばあった。数日後お酒がぬけている状態でO氏と病院が休みの年末年始に避難入院をして再度断酒することを話し合いする。しかし入院しての集団療法もO氏にとっては苦痛でしかなかった。

      退院後も飲酒の日々は続き、寒い時期であるにもかかわらず路上で寝てしまい、凍死する可能性もあるので、本人が自宅に帰っていないと連絡をうけて街の中を探すことも度々あった。この状況が続き本人は納得しなかったもののお金を預からせてもらい一緒に食事を買いに行くという「現物支給」体制を2年前にとった。一緒に食事を買いにいくようになり、O氏と話をする時間が長くなった。その中で、幼少の頃の家族関係で優しくしてくれた姉に対する思いが強いこと、また飲酒してその姉の夫に対して暴言を吐いてしまい姉との関係が悪くなったこと、それを思い出すとまた飲酒してしまうこと、しかしお酒をやめて姉に会いに行きたいと思っていることなど繰り返し話をしていた。また、独身であるため話し相手がおらず寂しいので飲酒する、ミーティングなど人前で何か話しをしなければならないことが負担になりつい飲酒するのだとも繰り返し話をしていた。そこで通院する病院もアルコール専門の病院ではなく、ミーティングなどのプログラムのない一般の精神科の病院に変更をした。その病院の主治医に一緒に食事を購入する際の話の内容を伝えたところ、女性のヘルパーがいる介護業者でディサービスを利用するようにして寂しい時間をできるだけ少なくしてはどうかということで、介護保険の申請をすることになった。

      それ以降、女性のヘルパーが決まった時間に部屋に掃除をしにきてくれるようになり、週2回ディサービスを利用するようになって、彼には日課ができた。その結果、抗酒剤(この薬を飲んでアルコールを飲むとひどい二日酔いの状態になる薬)を服用しながらではあるが、半年のうちにスリップ(再飲酒)することは最初の頃1,2回あっただけになった。そして本人にも夏の暑いとき、アイスクリームやジュース代ということでお金1週間に1,000円もってもらうようにまでなった。

      順調に生活がながれていると思った今年の3月末日、部屋の中で脳梗塞の発作をおこし亡くなっているところを発見された。

      断酒するためには専門治療しかないと思い、いかに専門治療を継続させるか、型にはめることばかり支援者が考えて、アルコールを飲む背景にある本人の訴えに耳を傾けるまでに時間がかかった事例である。

    • ② Y氏 男性 70代前半
    • Y氏は元々内縁の奥さんがおり、NPO釜ヶ崎支援機構がかかわる以前から、飲酒して困りアルコール専門の病院に通院をしていた。しかし通院するも飲酒して治療契約が破棄されるということが繰り返されていた。NPO釜ヶ崎支援機構に来たときにはその内縁の奥さんと別れ、単身で野宿している状態で相談に来られた。その際、過去にアルコール依存症の治療を受けていることは話をされなかった。

      もともとY氏は料理関係の仕事をしたり、運転手の仕事をしたり、釜ヶ崎にきてからは請負で建築土木の会社を経営したりしていた。景気がよかった頃にウィスキーなど高いお酒を相当量飲むようになりそれが長年続きアルコール依存症となり、また仕事がきつかったため覚醒剤も使用、50代で後遺症はほとんど残らなかったものの脳梗塞をおこし倒れたこともあった。

      部屋をかりて生活保護相談に行ってはじめてアルコールの問題があることがわかり、以前通っていたアルコール専門病院に通院するが、抗酒剤がきかず、飲酒しては治療契約を破棄するということが何度かみられた。しかし一人暮らしができないほど生活が崩れることはなかった。

      昨年再び脳梗塞をおこし、アルコール専門病院からの紹介で、脳外科病院、神経内科に受診する。後遺症として、言葉を発することができなくなり、燕下障害が出て、歩けるけれども両足の反射が鈍くなった。入院が必要な状況であるにもかかわらず「アルコール依存症」「覚醒剤後遺症」という病名がついているがためにどこの神経内科も精神科も難しく、通院していたアルコール専門病院の系列の病院に入院することとなった。

      退院後も介護保険を利用しながら、アルコール専門病院に通院していたが、時々飲酒があり、転倒しては救急車で運ばれ、病院に数日入院、退院して再度アルコール専門病院に通院再開という繰り返しだった。また夏場には水分をとるのが困難なため訪問看護を利用、点滴も行った。ただこの頃より脳梗塞が原因なのか、覚醒剤後遺症が原因なのかわからないが、夜間の徘徊、それ以外にも今まで以上の奇行がみられるようになった。今後どのような支援ができるのか、Y氏に関わっている病院のソーシャルワーカー、ケースワーカー、保健師、ケアマネ、スーパーバイザーとして作業所スタッフ、NPO釜ヶ崎支援機構のスタッフなどが集まり、ケース検討会議が何度かもたれたが建設的な意見はでなかった。たしかに本人に「病識」があるかどうかと言われ、本人に責任を返すべきだという話もでたが、それはY氏を死に至らしめる可能性が高い。そのような状況で現在の支援体制以外に使える社会資源がなかった。

      その後ヘルパーが入るも介護拒否をして尿臭のする状態でアルコール専門病院に通院、また病院の中で失禁ということが度々あった。ミーティングに参加することもなく、診察と点滴を週に1回受ける体制を続けていたが、結果的に集団療法による「治療」を目的とする病院側から、「治療」の効果が考えられないという理由で「排除」されることになった。現在は認知症のある方が多く入院する精神科の病院に入院している。

      アルコール依存症者の平均寿命は複数の病気になるために短いと言われています。ただアルコール依存症者も年齢は重ねていきます。集団療法が難しくなったとき、治療から次ぎの段階として生活面をどのように支援していくか、アルコール依存症者を受入れてくれるグループホームなど利用できる社会資源はあるのか、社会資源の貧困さを実感させられる結果になった事例である。

    以上2つのケースを紹介したが、アルコールをやめるためにはどのような支援があるのか、アルコール専門の病院に通院することが第一になるが、それだけではない断酒の方法、治療開始後の生活の援助など、ケースによって介入のタイミング・方法は異なってくる。どこまで何をしたらいいのか、選択できる余地のない貧しい社会資源の中で、野宿に至るまでの状態になった単身・男性のアルコール依存症の相談者は今日も来ている。

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