[1]はじめに
旅客ターミナルビルは、「空港の顔」ともよばれる存在である。
海上空港であること、国際線ロビーと国内線ロビーを同一建物の中でサンドイッチ的構造で併存させていること(ターミナルビル本館の2階は国内線の出発及び到着フロア、1階は国際線到着フロア、4階は国際線出発フロア)など、関空の旅客ターミナルビルの特性はその巨大さとともにいくつもある。建築面積・117000平方メートル、延床面積・296000平方メートル、全長・1660メートル(本館部分が300メートル、南北のウイングは各680メートル)の従来見られなかった構造物は、その形態に置いてもユニークで屋根は連続曲面であるため鉄骨の製作をはじめ技術的にも多くの課題があった。また、建物全体にわたってガラスが多用されているのも特徴の一つで、滑走路側に面した部分は基本的に窓ガラスとなっている。
このような従来考えられなかったような巨大かつ新規技術が要求される建設工事を完遂するには多種多様な労働力が必要である。
新規入場者アンケートには当然のことながら職種の記入欄があるが、その内容はきわめて多種・多様であり、土木・鳶工等の一般的な建設職種から会社員、営業・作業員等まで見られる。
なお、工事はターミナルビル本館の中央部から北半分を北工区、南半分を南工区として、それぞれ大林組を代表とするJV、竹中工務店を代表とするJVが受注した。
ここでは、多種多様な職種のうち、ターミナル工事の基幹的部分をなす胴体工事をになう鳶工・土工・鉄筋工・型枠大工・解体工を取り上げ、その性格を明らかにする。
その数は鳶工1,178人(北工区616人、南工区562人)、土工797人(北工区301人、南工区496人)、鉄筋工768人(北工区285人、南工区483人)、型枠大工670人(北工区281人、南工区389人)。解体工89人(北工区41人、商工区48人)で、総数は3,502人(北工区1,524人、南工区1,978人)である。
工区によって、人数に差が見られるのは、これらの数が実人数であり、就労日数を勘案したものではないこと、および記入の基準が厳密なものではないことに由ると思われる。
[2]基本属性
2.1 年齢構成
平均年齢を若い順に並べると、鳶工(37.5歳)、鉄筋工(38.7歳)、型枠大工(40.4歳)、解体工(42.2歳)、土工(43.1歳)となる。 最も若い鳶工の構成をみると、最多の年齢階級は20代前半(15.9%)で、次いで50代前半(14.1%)、40代前半(13.8%)、40代後半(12.4%)となっている。 これに対して最年長の土工では最多年齢階級は50代前半(17.3%)で、続いて40代前半(15.4%)、40代後半(14.8%)となっていて、20代前半は8.3%にすぎない。
鳶工の年齢構成に類似しているのが鉄筋工・型枠大工で、10代後半あるいは20代前半に一つのピークがあり、20代後半から30代後半にかけてはやや落ち込みが見られ、40代以降にまたヤマが見られるのである。全国的な建設労働者の年齢構成(1992年10月1日実施『就業構造基本調査』・建設業・全有業者調査)は40代以降にヤマが一つあるのみであるので、これは関空工事特有の特性と言えよう。
このような特性の背景には意図的なリクルート、ないしは建設業者側での独自な関空工事の位置づけ(現業訓練的意義、新規技術への対応等)があると思われる。
土工の年齢構成は前記したように『就業構造基本調査』のパターンに一致しており、解体工のそれは土工とそれ以外の職種との中間的な性格をしめしているが、これは、解体工の人数がきわめて少ないことと関連しているようである。(表1参照)
なお、39歳以下の比率をもとに両工区を比較すると、職種によってその傾向は一定せず、北工区が高い場合もあれば逆の場合もある。その差はおおむね10%前後であるが、鉄筋工のみ北工区・56.1%、南工区・36.7%できわめて対照的である。(表2参照)
2.2 現場経験年数
現場経験年数の平均を小さい順に並べると次のようになる。
鉄筋工(6.6年)、土工(6.5年)、解体工(7.4年)、鳶工(8.6年)、型枠大工(14.8年)。型枠大工は鉄筋工や土工の倍以上になっている。
どの職種でも最多の年数階級は5年以下(1年以上5年以下)である(ただし北工区の土工のみ6〜10年が最多となっている)。 なお、1年未満と5年以下(1年以上5年以下)の和が鳶工・土工・鉄筋工・解体工ではいずれも50%を超えているのに対して型枠大工はわずか32.2%にすぎない。つまりそれだけ型枠大工は経験年数の高いものが多いわけである。別言すれば、新規入職者の比率が低いことになる。
平均年齢から現場経験年数の平均を差し引いた数値を入職時年齢の平均と見なすと、鳶工(28.6歳)、土工(36.6歳)、鉄筋工(32.2歳)、型枠大工(25.6歳)、解体工(34.8歳)となる。型枠大工が目立って低いことが分かる。
入職年齢でより仔細にみると、北工区と南工区との比較では、鳶工・土工・型枠大工では、南北とも大きな差は見られないが、鉄筋工では北工区・28.7歳、南工区・34,4歳、解体工では北工区・30.2歳、南工区・38.7歳とかなりの差があることが分かる。 鉄筋工の場合、経験年数はほぼ同じで年齢の差が反映されているわけである。つまり、経験年数に差はないが、北工区の鉄筋工は、平均年齢35.4歳という比較的若い労働者が多いのに対して、南工区では平均年齢40.7歳という比較的年齢の高い労働者が多いということである。 解体工の場合は年齢・経験年数とも差が相乗的に現れている。つまり、北工区では、比較的若く(南工区に対して)かつ経験年数の高い労働者が多いのに対して、南工区では比較的年配の、経験年数の短い労働者が多いということである。(表3参照)
2.3 連絡先都道府県
調査用紙には「現住所」と並んで「連絡先」の欄がある。同居・別居を問わず家族との連絡のための欄とも、所属している会社(親方)との連絡のための欄とも、その他一般的な緊急用の連絡先とも捉えることができるため、その記入内容は多義的である。そのため「連絡先」を直接的に出身地を指すものとは考えられないが、「現住所」よりもそれに近いものと考えることは出来よう。 そこで集計に当たっては「連絡先」が大阪府、「現住所」が非大阪府の場合は逆記入と見なし、入れ替えて処理した。つまり「連絡先」が大阪府であれば「現住所」は常に大阪府ということになる。
どの職種をみても、連絡先のトップは大阪府である。しかしその比重は異なっている。すなわち、鳶工(44.1%)、土工(45.7%)、鉄筋工(41.8%)、型枠大工(73.6%)、解体工(62.9%)となっている。 すなわち、型枠大工及び解体工では大阪府の比率がきわめて高いと言える。これはこの二つの職種が密接な関係にあること、後述するように一次協力会社・所属会社とも共通していることが多いことに起因しているようである。
二つの工区を比較すると、どちらも大阪府の比率がトップであるが、北工区では、型枠大工及び解体工の比率が他の3職種の倍以上もあって圧倒的であるのに対して、南工区は型枠大工の比率が66.3%と目立つものの他はいずれも40〜50%代で大きな差はみられない。また鳶工・土工・鉄筋工では南工区の比率が高く、型枠大工・解体工では逆の傾向がみられる。(表4参照)
連絡先を近畿地方としている人たちの比率はおおむね大阪府を連絡先としている人たちの比率と同じ傾向を示している。すなわち、蔦工・土工・鉄筋工では南工区の方が高く、型枠大工・解体工では逆に北工区の方が高くなっているのである。 北工区の型枠大工で近畿地方を連絡先としている人たちは全体の95.7%(南工区では80.7%)、解体工では85.4%(南工区では62.5%)となっている。(表5参照)
連絡先が大阪府であり現住所が宿舎(阪南宿舎等)とした人たちをみると、解体工では一人もおらず、全体としてもごく少数である。 つまり連絡先を大阪府とした人たちはおおむね自宅ないしは会社提供の宿舎や飯場から「通勤」していたと考えられるのである。 最多は土工の42人(38.2%)であるが、北工区は39人、南工区は3人であって、鉄筋工以外はすべて北工区の方が多い。(表6参照)
2.4入場時期
旅客ターミナルビルの建設は1991(平成3)年5月に開始され、完工は94(同6)年6月である。
ここでは91年5月から94年5月までの37ヶ月間について月別の新規人場者数を職種別に算出した。前記したように就労日数が不明のため月間の実就労者数は確かめられないが、労働者の動きの特徴は掴めよう。
北工区の鳶工では、91年12月から93年1月まで(483人、全体の78.9%)が労働者の入場が活発であり、最多入場は92年9月の57人である。
同工区の土工はこれに対して、92年1月が最多入場月である(22人)が、入場頻度は分散的であり、92年3月から同年8月にかけて10人以上の入場がみられるが、全体の26.3%(79人)程度で、集中的な労働者入場は見られない。
同工区・鉄筋工の場合は、92年1月から92年9月までの期間の入場が目立つ。214人・75.1%であり、最多入場は92年3月の50人であった。
同工区・型枠大工は、92年5月から同年7月までの期間と94年2月から同年4月までの2回の期間に入場のピークが見られる。前者は97人・34.9%、後者は54人・19.4%で極端な集中期は見られない。最多入場は92年7月の40人であった。
同工区・解体工は人数自体が少ないこともあってか、91年12月・92年6−7月および同年9月の4ヶ月しか入場が見られない。
南工区の鳶工は92年6月から93年9月頃までが入場の活発な時期で、452人・81.9%もの労働者がこの期間に入場している。最多は92年12月の49人である。
同工区の土工は94年2月が最多入場月であるが、92年の3月以降は増減はあるものの目立った集中的な入場は見出し難い。
同工区・鉄筋工は、92年1月から92年9月までの時期が集中期で434人(93.3%)が入場している。最多入場月は92年6月の117人であったが、これは両工区、躯体5職種を通して最大の数である。
同工区・型枠大工は、92年3月から92年7月までの期間(142人・36.5%)以外にも小さなピークがいくつかみられる。最多入場月は92年4月の53人である。
同工区・解体工の場合は92年6・7月の24人(50.0%)が目立っ。最多は後者の14人である。
全体として、鳶工は大量入場の時期は長く、土工は分散的で、型枠大工や解体工は入場時期はきわめて限定的であり、鉄筋工は鳶工と型枠大工との中間的な性格を示している。
北工区と南工区とでは労働力投入のあり方がいくぶん異なっているが、実就労期間がこの調査では明らかではないので、工程自体にどの程度の差異があったのかは不明である。(表7−1〜表7−2参照)
2.5 日雇の割合
調査用紙には直接日雇労働者であるかどうかを判断できる欄はない。ここでは調査票の記入年月日――通常、入場年月日と同一である――と就職年月日との差を算出し、同日・15日以下・16〜30日・31日以上・不明に区分した。ただ不明の比率に各職種間でかなり差があるため不明分を除外してその比率を算出した。(表8―1〜表8―3参照、)なお、ここでは同日群を日雇と見なした。
日雇比率が低い順に並べると、解体工(2.3%)、型枠大工(20.2%)、鳶工(24.7%)、土工(35.1%)、鉄筋工(45.3%)となる。
北工区では解体工・鳶工・型枠大工・鉄筋工・土工の順であり、南工区では解体工(なし)・型枠大工・鳶工・土工・鉄筋工となってくるが、土工及び型枠大工の比率が北工区と南工区とではかなり違うのが目を引く。
なお、このような入場年月日と就職年月日による日雇労働者の確定は不完全なものである。釜ヶ崎地域を連絡先ないしは現住所とする、日雇労働者であるとしか考えられない労働者が「31日以上」と算出されること(日雇労働者であっても長時間にわたり特定の業者のもとで就労する「直行」という就労スタイルをとることがあり、そういった場合、しばしば最初の就労日を就職年月日とすることがある)もあり、期間雇用の場合はたとえ正確な就職年月日を記入しても日雇の枠からはずれてしまうし、さらに不明(入場年月日はともかくも就職年月日がはっきりしないことは多い。)の多いことも看過できない。
2.6職長教育の受講
調査用紙には現場での地位・立場についての記入欄はないが、資格や免許についての欄はある。ここでは、職長教育の受講者について一瞥する。
職長は各種別工区の作業単位ごとに置かれることになっており、旅客ターミナルビルの建設工事においてどのような工区編成が設定されたのかは不明であるが、その規模からかなり多数の職長が存在したことと思われる。
受講者がかならずしも職長として就労しているわけではないであろうが、関空工事就労者の性格の一班を窺うことはできよう。
受講者の全体に占める割合は、鳶工で6.7%(79人)、土工で4.6%(37人)、鉄筋工では10.5%(81人)、型枠大工は3.9%(26人)、解体工は5.6%(5人)である。別の見方をすれば、鳶工は14.9人、土工は21.5人。鉄筋工は9.5人、型枠大工は25.8人、解体工は17.8人に一人ということになる。
平均年齢は、鳶工が38.6歳、土工・40.4歳、鉄筋工・37.3歳、型枠大工・41.9歳、解体工・40.0歳となっている。
現場経験年数の平均は鳶工が13.4年、土工・8.3年、鉄筋工・10.0年、型枠大工・29.3年、解体工・10.O年となっているが、南工区はデータがごく少数である。八木正(『日本建設業の下請構造における労務機構と労働の状況』「金沢大学教養部論集・人文科学編28−2(1991)」)の紹介によれば、直用部門の「大工」、「左官」、「とび・土工」、「鉄筋」中の占める割合(百分率)は、それぞれ9.9%、8.6%、10.O%、12.0%であり、再下請部門のそれは10.1%、10.1%、14.3%、13.7%(財団法人・建設業協会「下請対策委員会」編『建築労務下請の動向に関する研究報告書』)で、型枠工では12.1%(大阪建設労務研究会『型枠工事の研究』)となっている。
もとより、2種の数値の性格を同一と考えることには無理があるが、これらの数値と今回の関空調査の数値を比較すると、鉄筋工を除いて関空工事就労者中の職長教育受講者数はきわめて小さいことが分かる。関空工事では実質的な現場での地位が問われておらず、有資格者数が問題になっているだけであるが、しかしこの数値が「職長・世話役」の人数のべ一スになることは間違いないわけで、その意味では関空工事への有資格労働者(職長)の参入には隔たりがあると考えられる。すなわち、工区編成が関空工事では通常の工事よりも大きく、あるいは意図的な工事参入へのコントロール(制限)が想定されるのである。(表9−1〜表9−3参照)
[3]下請構造と躯体職種
3.1 所属会社
所属会社は個々の労働者(記入者)にとって最も近い会社である。両工区に共通してみられる所属会社は鳶工・5社、土工・4社、型枠大工・6社ある。これらの所属会社に属する労働者総数は鳶工で154人(13.1%)、土工で211人(26.5%)、型枠大工で67人(10.O%)である。土工の比率が際だって高いのは北工区で最多の所属会社(KG建設)を含んでいるためである。総数が100人以上の所属会社が鳶工・土工でそれぞれ1社ずつあるが、どちらか一方の工区で多数の労働者を数えるだけでもう一つの工区では少数の労働者しか所属していない。つまり、工区ごとに所属会社は基本的に固定していると言えよう。(表10参照)
所属会社を人数順に並べ、職種別全人数の累積比率が50%を超えるまでに何社がはいるかをみると、土工では両工区とも1社で、最多の場合では南工区の型枠大工の9社(全39社)であり、所属会社数にかなりバラツキはあるものの多人数を抱える会社は少数である。例外は北工区の解体工で、全2社で1社が90.2%を占めている。南工区の解体工も同様で全6社・2社で64・6%を占めている。また南工区の鳶工・土工はいずれも同一のNS組が最多でそれぞれ55.3%、79.8%を占めている。
3.2 一次協力会社
1次協力会社は、南北工区のいわゆる協力会社で、所属会社とは対照的に各JV企業にもっとも近い施工業者である。
両工区に共通してみられる一次協力会社は所属会社同様鳶工(5社)及び土工(3社)、型枠大工(5社)である。鳶工のYK工事はいずれの工区でも100人を越える大規模な会社であるが、他のいずれの会社も総数が40人以下で少数である。(表11参照)
一次協力会社を人数順に並べ、職種別全人数の累積比率が50%を超えるまでに何社はいるかをみると、すべての職種で1社という集中ぶりである。
なお会社数自体をみると、最多は南工区・鳶工の26社、最小は北工区・解体工の1社である。またどの職種でも南工区のほうが北工区よりも会社数が多い(ただし鉄筋工は同数である)。南工区のほうが会社数の点で北工区よりも多いというのは、所属会社数についても言えることである。(表12参照)
ただ人数比率を見ると、北工区の鳶工(62.2%)、土工(61,1%)、型枠大工(63.3%)、南工区の鳶工(55.7%)、型枠大工(60.7%)、解体工(68.8%)といった比較的低い比率のグループと、北工区の鉄筋工(94.0%)、解体工(100.O%)、南工区の土工(80.2%)、鉄筋工(85.9%)との対照ぶりは無視できない。
なお、同一職種で、所属会社が異なる二つの一次協力会社の系列下に入っているのは10社である。北工区では鉄筋工で1社、型枠大工で2社、南工区では鳶工4社、土工で1社、型枠大工2社である。最多は北工区・鉄筋工の全57人で、多くは10人以下である。おおむね一次協力会社と所属会社とは固定的な関係にあると言える。
最多一次協力会社のうち、その全体に占める比率が極端に高いものを除いて、北工区の鳶工・YO建設、同工区の土工・YO建設、同工区の型枠大工・OT工務店、南工区の鳶工・SK組、型枠大工のID工務店、解体工のID工務店の労働者を入場年月日順に算出し、それ以外の一次協力会社労働者の数と比較した。全体に占める比率が極端に高い職種は当該一次協力会社の動向が全体の動向と一致してしまい、それ以外の一次協力会社との比較が無意味になるため、ここでは除外した。
北工区の鳶工の場合、YO建設によって91年12月以降の集中期が形成されているが、92年9月からは非YO建設からの動員が多くなっている。YO建設による労働者確保が限界に達したのか、他の系列による動員に余裕が出てきたのかは不明であるが、補完的な役割が見られる。
同工区の土工についてみれば、全体として分散的であるので重複的な入場はないが、YO建設が中期にやや目立った入場があるのに対して。非YO建設は後期にそれが見られる。
同工区の型枠大工についても中期がOT工務店、94年のはじめ、工期の後期が非OT工務店という集中期のずれが見られる。
南工区の鳶工の入場は北工区の鳶工の場合と類似したところがある。北工区の場合は全体としての集中期の前半はYO建設、後半が非YO建設が労働者を確保していたのに対して、南工区では集中期の中期に非SK組が参入している。前半及び後半はSK組が労働者を確保しているのである。また工期の最終月に非SK組から21人も入場しているのが目立つ。
同工区・型枠大工では、最多のID工務店は工期の中期(92年度中)に集中しているのに対して非ID工務店はその工期の94年以降にピークが見られる。
同工区・解体工は、最多のID工務店が92年6−7月に半数近くが入場しているのに対して非ID工務店は目立ったピークは見られない。(表13−1〜表13−3〜表13−6参照)
3.3 職種別系列
ここでは、各職種ごとに一次協力会社ー所属会社ー連絡先の系列下の労働者数を算出しその数が20人以上のもので、連絡先が大阪府のケース(前記したように現住所も大阪府となる)を取り上げ、地元からの関空工事への参入の実態を見ることにする。なお一次協力会社は前記のように全体の累積比率が50%以上を占めるもの(前記したようにどの職種でも1社である)を取り上げた。
北工区・鳶工では、対象となる一次協力会社はYO建設でその下の所属会社は14社ある。そのうち連絡先が大阪府の20人以上の系列は、所属会社がKM組(21人)・OH建設(66人)・SH組(24人)の三つがある。平均年齢を見ると、KM組は25.6歳、OH建設は40.6歳、SH組は22.8歳となっており、日雇(入場年月日と就職年月日が同一)はKM組、SH組では「なし」であるのに対してOH建設では37人(57.8%)もいる。また職長教育受講者の割合もOH建設が一番低く、同じ一次協力会社のもとにあっても、所属会社によってかなり性格に差が見られるのである。
南工区の鳶工で最多のSK組の所属会社は3社であるが、該当するのはNS組(147人)だけで平均年齢40.0歳、日雇の比率は25.5%となっている。現住所の宿舎(阪南宿舎・島内宿舎等の関空工事専用の、個々の業者が用意したものではない宿舎)利用についても顕著な違いが見られる。すなわち、KM組・SH組では66.6%、37.5%であるのに対してOH建設では「なし」であり、NS組も2.7%ときわめて低いのである。つまりOH建設やNS組では所属会社独自の宿舎(飯場)を確保しており、関空工事専用の宿舎を利用する必要がなかったものと考えられるのである。
比較的若く、かつ「日雇」が皆無ないしは少数で職長教育の受講者も多い、いわば若年・有資格者層が中心の、宿舎利用がみられる所属会社とそうでない所属会社との対照は鳶工、特に北工区のそれでは顕著である。
土工は北工区では、YO建設―KG建設の61人、南工区ではSK組―NS組の223人のそれぞれ一つずつである。前者の平均年齢は42.4歳、後者は39.3歳、日雇比率は41.0%、31.8%でやや似ている。ただ宿舎利用についてはKG建設では62.3%もあるのに対してNG組は「なし」であり、対照的である。
鉄筋工は北工区で二つ、南工区でも二つの計4系列が見られる。すなわち北工区では一次協力会社はYSで、そのもとにMM鉄筋(31人)とTN鉄筋(20人)があり、南工区ではDRが一次協力会社で、所属会社としてDR(51人)とTM工務店(32人)がある。平均年齢はそれぞれ33.5歳、35.5歳、37.2歳、44.1歳で、日雇の比率は29.0%、0.0%、25.5%、65.6%となっていて少しずつ性格が異なっている。宿舎利用の点でも、MM鉄筋やDRは「なし」で、TN鉄筋も5.0%と低いのに対してTM工務店では37.5%と目立っている。
型枠大工は北工区ではOT工務店のもとにOT工務店(79人)とSG工務店(60人)、南工区ではID工務店のもとにTH工務店(40人)の三系列がある。平均年齢はそれぞれ41.4歳、36.7歳、33.4歳で、日雇比率は10.1%、26.7%、0.0%となっている。宿舎利用では12.7%、5.0%、0.0%とかなり低めである。
解体工は北工区でのみ見られる。OT工務店一UK組の31人でその平均年齢は39.3歳、日雇比率は3.2%であった。なお北工区・解体工の日雇いは一人であるのでその一人がこの系列に含まれていることになる。なお宿舎利用は「なし」である。
系列の性格の差は職種と所属会社のそれに帰着するが、それが北工区の鳶工のような形で露わになるのは珍しい。これは北工区・鳶工特有のものとも言えるし、あるいは他の職種では各所属会社と労働者との間になにがしかの媒介物(文書の上では現れてこない業者)があるため所属会社の性格が複合的になっているためとも考えられるのである。(表14参照)