はじめに
「野宿者」のくらしを社会学者が最初に記した文献は、おそらくN.Andersonの「ホボー無宿人の社会学』(1923)であろう。『社会学のあゆみ』の中で、宝月誠は、Andersonは「ホボ集団のありのままの姿を、彼らの集団構造や行動様式に関して、詳細に記述している」(注1)と評価している。そして、宝月はAndersonの研究をふまえて次のように言う。
われわれが無宿人を想像する場合には、一般に彼らが仕事にあぶれ、愛情や性に飢え、貧しい食事に耐え、一切の楽しみを奪われ、不安な毎日を送っている姿を心に描く。無宿人のこうした悲哀に満ちた側面は、確かに彼らの現実の一面である。(中略)しかし、こうした側面のみに眼を奪われていては、彼らが有する「生活の知恵」や「進取の気性」さらには、彼らのれっきとした社会構造の存在を無視することになる。少なくとも社会学的研究の基本的な姿勢は、対象の現実の姿を尊重し、できるだけありのままの姿で捉えることである。そこにはペイソスの極端な誇張も、逆に対象をロマンティシズム化することも不必要である(注2)。
日本でも、「野宿者」や寄せ場についての研究の歴史は古く、多くの文献や調査報告書があるが、それは社会学者によってではなく、行政によってなされたものがほとんどである。社会学者による研究の多くは、「野宿者」を社会病理としてしかとらえず、政策の対象として研究しているものにすぎない。また、寄せ場労働者については労働者としての側
面を強調しすぎて、生活者としての側面を研究したものは特に少ない。私は「野宿者」のくらしに焦点をあてて、「対象の現実の姿を尊重し、できるだけありのままの姿で捉える」努力をしていきたい。
「野宿者」のくらしについて語られるとき、よく「勝手気ままな生活」とか、「好きなように生きている」というような表現がなされ、彼らはまるで、起きたいときに起きて、寝たいときに寝ているかのような印象を与える。しかし、一人の人間が社会の中で生きていくには、当然ながら日々生きるためにくりかえし行われる営み、つまり「ルーティーン・ワーク」が存在している。そして、そのような生活の実践を通じて、生活構造と呼ばれるものが築かれ、また同時にそこで築かれた生活構造によって日々の生活の「実践」は限定される。このような視点で捉えなおしたとき、「野宿者」はどのように見えてくるのか、これがこの論文で明らかにしたいと思うことである。
この論文では、1章において一般に広まっている野宿者のイメージをとらえ、2章では、95年度社会学教室による野宿者聞き取り調査で得た結果をもとに、「野宿者」の生活の4つのモデルを提示し、3章で実際に生活の様子について聞き取りをしたものを紹介しようと思う。最後に4章でなぜイメージと実像がここまでかけ離れているのかについて考えてみたい。