同地の小屋主一同が過日来屡々集会して依然諸興行地に据置れんこ
とを嘆願すべしと相談なし居りしが去る廿二日愈よ元南区長の手を
経て嘆願書を奉呈したりといふ元来千日前は在昔刑場にして寺院一
ヶ所あり其南に火葬場ありて当時の興行物は難波新地五番町溝の側
辺にて千日前は人の通路もなき程の淋しき処なりしを明治六年の冬
其頃の南区長高田傳蔵氏より諸興行者に千日前墓所地移転して同地
を開き呉れ度旨依頼されしも誰一人として手出しする者なく翌七年
三月に至り高津町四番丁の遠江鶴吉と奥田弁次郎の二人が開地発起
人となり第一着に荼毘取捨灰山の西手よりして奥田外八名が二百円
の資金を借受け開墾し尚ほ自安寺の西手なる刑場は何人も手を出し
兼るを奮ツて払下げを乞ひ当時地代二百十一円五十銭なりしに去廿
年に至り地価金二万二千七百円余をなりしは全く曩に区長の依頼あ
りしを以て千辛万苦し開墾せし功なるが其依頼迚も先年流行病蔓延
の際は諸興行の停止もあり又去明治十九年十月には火災の為め同地
丸焼となり其後諸興行席は瓦葺の本建と改築を命ぜられし旁々未だ
其利潤を受くるの日もなきに去る明治二十年七月廿五日に至り突然
二十一年十二月限り諸興行を禁止するを以て日本橋筋へ移転すべき
旨達せられしは実に人民の迷惑云はん方なしとて扨は従前の如く興
行の免許地とせられんことを願ふ事になりしものなりとぞ
著者:大阪毎日新聞
表題:千日前
時期:18890426/明治22年4月26日
初出:大阪毎日新聞
種別:千日前