失火

   一昨日午前十時三十分西成郡難波村二百九番地(字を赤手拭といひ

   旧難波避病院の東手な)なる東区谷町四丁目廿一番地渡辺福松がア

   ルコール製造所(八間の二間半にて敷坪二十坪なり)より火を発し

   同所一棟全く焼失して同日午前十一時過る頃鎮火せり斯火の原因は

   同日も例の通アルコールを取らんものと其蒸釜に焼酎を容れ火を焚

   きしが焼酎の容量の少許多すぎけん蒸発の頗る烈しかりしかぞ例為

   るやうに冷水を蒸釜に濯ぎて蒸発の勢を殺がんとせしに生憎釜に塗

   りたるギブス(ランプの金物と硝子の油壷の間隙などに填めたる白

   粉を練りしもの)が冷水を濯ぎたるより冷熱衝突のぐあひにて剥れ

   レ剥目より吹出でたる焼酎が忽ち火を発したるに在り火は猶看々中

   に其辺一面にひろがり傍に置たる多量のアルコールに燃移りたるに

   ぞ遂に斯は屋舎をも焼くに至りしものなりといふ又此時事に与り居

   るたる傭人富上豊三郎(四十九年)は右吹出でたる焼酎が両の手頸

   と両の膝より足頸までかゝりたれども皮膚を傷ひしまでなれば廃疾

   となる程にもあらざるべしと伝聞きぬ

   

   著者:朝日新聞
   表題:失火
   時期:18861111/明治19年11月11日
   初出:朝日新聞
   種別:火事