寄書 難波村の地勢
大坂三軒屋○○
予て風説ある大坂の市区改正も早晩決行せらるべしと想像仕候就て
は道巾も人道と車道を区別したらんには心斉橋筋其他二三の大道路
は目今の四倍位に可相成左れば現在の人口は今の四区中にて住居難
致に付更らに一市街を創設せざる可からず扨て四区接近の田圃中尤
も適当の地は何れぞと歴観するに幸町裏即ち難波の田圃一円を以て
最も適切の地と被存候昨年洪水の際の如き四区接近中多くは水害を
被ふり市民孰も困却を極めたれども独り難波村は地勢平坦にして水
難の患なく木津川の便あり且つ大坂の地勢漸南の勢あるは皆人の知
る所に候得ば旁々同村は適当の地と存候然るに該地へ貧民小屋を建
築する杯の議あるいは抑も地勢の然らざる所以を知ざるに因なるべ
し幸に過日連合町村会にて之を否決したるは大坂将来の為め大賀し
て一大白を挙ざるを得ざる儀と存候事の序に小生は再び右様の議の
出ざらんことを深く希望致候也草々。
著者:大坂三軒屋○○
表題:難波村の地勢
時期:18860912/明治19年9月12日
初出:大阪日報
種別:寄書/長町取払/連合町村会