〈資料4> 建設業退職金共済制度の抱える問題
概説
建設業退職金共済制度は、中小企業退職金共済法に基づき、建設現場で働く人たちのために設けられた退職金制度である。この制度は、労働者がいつ、また、どこの現場にいても、その日数分の掛け金が通算されて、退職金が支払われるという仕組みになっており、短期間に職場を転々と移動して雇用される労働者にとって、福祉の充実から、有意義な制度である(大阪府土木部『建設業退職金共済制度に関する暫定指導事項』1998年10月5日)。
しかし、大阪府・大阪市の調査によって、同制度が適正に運用されていなかった事実がこの6月に判明し、発注官庁、受注した元請けゼネコンそして場合によっては下請け業者もまた、その責任が問われている(『大阪読売新聞』98年7月4日)。特に釜ヶ崎の日雇労働者には共済手帳を持つ労働者が極端に少なく、制度の外に置かれているといっても過言ではない(『同』98年8月14日)。
こうした事態に対し、大阪府土木局は、10月5日から新たな指導マニュアルを設け(『同』98年10月6日)、また建設業界でも建設労務安全研究会を中心に制度改善に取り組み始めている。その基本的考え方は、「退職金を人件費の一部と考え元請けは発注者に、下請けは元請けに、正当に請求できる土壌を作り上げること」と述べている(『日刊建設工業新聞』11月6日)。
以下では、これらの問題を報じた新聞記事を参考資料として紹介しておこう。

新聞報道
1.退職金どこに消えた。証紙代の流用疑惑  『大阪読売新聞』1998年7月4日
「ゼネコンのピンハネや」建設労働者ら怒り

大阪府、大阪市の調査で判明した証紙購入費の行方
労働者に渡った証紙分                   3900万円11%
ゼネコンに残った証紙分              1億3800億円38%(本来の目的外)
ゼネコンが購入しなかった分         1億8300万円51%(本来の目的外)
本来分全体                               3億6000万円100%

「自分たちの退職金をピンハネしているのと同じや」。大阪府、大阪市の発注工事をめぐり、建設労働者の退職金掛け金となる共済証紙購入費が元請けゼネコンに流用されていた疑いが明るみに出た五日、現場の労働者らは怒りの声を上げた。ゼネコンの金庫で証紙の束を目撃しながら、「請求したら仕事が回ってこない」と嘆く下請け会社幹部。大半のゼネコンは、証紙を買わなかった差額の行方を「言えない」と口を閉ざしたが、「もうけに回した分もあるかも」と認めた社も。本来の目的外の消えていく公金を見過ごしてきた行政の責任は重い。
「証紙を張る手帳を持っていても意味がない」。大阪府内の五十歳代の作業員は、真っ白なままの共済手帳を投げつけた。証紙購入が目安の4%だった大阪市の第3セクター発注のミナミの地下街「クリスタ長堀」建設工事で働いたこともある。四年前、老後のことを考え、「証紙を張ってほしい」と雇用主に頼んだ。翌日、返ってきたのは、「ゼネコンに請求したら『面倒や』と怒られたやないか」との答え。「証紙は退職金そのものなのに」と悔しさが今も消えていない。
証紙が渡っていないのは、大阪の工事だけに限らない。神戸市発注の工事現場で、白髪まじりの作業員は「制度があるのも知らない。損をするのはいつも弱い者。行政はどう責任をとるのか」とため息をついた。

大阪市内の下請け業者は寮にいる約三百人の作業員に一枚も証紙を張ったことがない。元請けのゼネコンから配布してもらえないからだ。「きちんと張っていたら、今でも八十万円ほどの退職金がもらえる人が三、四十人もいるのに」。
ある建設会社の幹部は「工事現場に証紙がないので、どこにあるのか、と思っていたら、ゼネコンの金庫に山積みされていた」と証言。別の業者も「元請けに請求したら『請負代金に入っているやないか。そっちで買え』と言われ、こちらで証紙を買って渡している。おかしな話や」。
購入が少ない理由について、ゼネコン側は口が重い。クリスタ長堀建設工事の共同企業体幹事の大手ゼネコンの広報担当者は「下請けからの請求をみて購入した」とし、差額の使途は「お話しできない」と硬い態度。府発注工事で購入が少なかったゼネコン幹部も「コメントを差し控えたい」。
やっと、あるゼネコン担当者が「差額分はもうけになったり、工事の柱や壁になったりしているかもしれない。お金に色がついてないんで、正確にはわかりませんな」と漏らした。
今回の調査で、労働者に行き渡っていなかったのは、関西空港一期工事で労働者全員に約半年間配布できる枚数。大阪府土木局や大阪市財政局の担当者は「こんなに証紙が渡っていないとは」と驚きの口調。もとはといえば、今までおざなりだった購入、配布のチェックの甘さが背景。「申し訳ない」の言葉も出た。
行政 甘いチェック 全国に波及も
建設労働者救済のための共済証紙代がゼネコンの手の内で消えていく背景には、制度に対する発注官庁、ゼネコン双方の意識に低さがある。全国の公共投資全体に含まれる証紙代と購入実績の差から「一千億円近い金額が別の使途に流れている」との試算もでき、全国に波及する問題だ。
請負額の算入分通り購入されているか。省庁や自治体は、元請け業者に、契約後一ヶ月以内に購入を証明する金融機関からの収納書を提出させ、チェックしている。しかし、ゼネコンの担当者は「『会計検査院に調べられるので、満額購入を』と厳しい所もあれば、『対象の労働者がいない』と言えば済む所もある」と、まちまちな対応を証言。購入後の配布状況になると、建設省労働・資材対策室が「現場で確認するのには限界がある」と言うように手が回っていない。
証紙代流用の疑いは、大阪だけにとどまらない。全国公共投資額は五十一兆円(1995年度)。目安の率から試算すると、約千五百億円の証紙代が請負業者に流れているとみられるが、証紙を扱う特殊法人・勤労者退職金共済機構に収納された購入費は六百三十億円。民間工事で購入が進んでいない事情を勘案しても、公共工事に含まれながら、業者の内部に残った金額は膨大と推定される。
ゼネコン側からは「退職金は国が面倒をみるものでないはず。時代に合わない」と制度そのものへの批判も出た。しかし、労働団体は「行政、ゼネコンの制度普及の努力が十分でない。対象者がいないことはなく、現実にもらえないと言う声を聞く」と力説する。
公共工事での証紙購入、配布に関し、大阪府、大阪市の調査は初の大がかりなものだった。税金が適正に使われるうえで、埋もれてきた問題の対策に行政が本腰を入れる必要がある。


2.証紙、今も回らぬ「あいりん街」の労働者 ゼネコンの流用疑惑から1か月
『大阪読売新聞』1998年8月14日夕刊

「ほしいけど仕事なくなっては…」あきらめ顔
建設労働者の退職金掛け金の共済証紙流用疑惑が浮上して一か月余り。二万人を超す労働者が暮らす大阪市西成区のあいりん地区では、労働者に依然、証紙が回らない状態が続き、証紙を張る共済手帳を持つのが「百人に一人」ともいわれる実態の改善も一向に見えない。最近、やっと、手帳
を取得した作票貝は「若いうちから証紙をためていたらここを抜け出られたかも」とつぶやく。不況の中、「証紙をくれと言って、仕事ができなくなったら」と、あきらめ顔の作業員も。制度の光が届かない街で聞く声は、建設業界の〈ひずみ〉を映し出す。
建設作業の求人を受け付ける西成労働福祉センターの登録企業で、制度に加入しているのは約四分の一の四百五十七社。手帳を交付されている労働者は六千七百九十人いるが、あいりんでは二百人程度という。
流用疑惑が明るみに出た七月、三人の労働者が手帳を取得した。その一人、ターさん(50)は岡山県を出て二十年、「遅かったけどまだ、十年は働ける」と申請した。一泊千五百円の簡易宿泊所暮らし。街を抜けたいと思っても、まとまった金がなかった。「これまでの分がもったいない。さかのぼって張ってもらえんかな」と悔やむ。それでも、「いつか、退職金でアパートでも借りることができれば」と期待をかける。
あいりんの労働者も雇う奈良県内の小さな土木会社の女性経営者(48)は、元請けから証紙が来なくても、自ら買っている。妹が土木作業員の夫を胃がんで亡くし、三歳の娘を抱えて途方に暮れた時、救ったのがこの制度だったからだ。
「家族を温泉に連れて行ってやりたい」と言い残して義弟が逝ったのは二十年前。遺品から証紙がびっしり張られた共済手帳が見つかった。退職金は二十万円になり、母娘の当面の生活費になった。娘が小学校に入学した時、この一部で机も買った。娘は今、「父が机を買ってくれた」と話すという。「制度のお陰で妹は支えられた。その恩返しです」と女性経営者は語る。
だが、あいりんの街の労働者一人一人に回るのはまだまだだ。夕方、現場からマイクロバスが戻ってきた。降りてきたハルさん(49)は、先日、猛暑の現場で脱水症状になり、病院に運ばれた。「先のこと考えたら、手帳も証紙もほしいけど、仕事がなくなったら困る。雇用先へ言い出せない」
完全失業率が過去最悪を更新し続ける不況のあらしと、制度の実行を怠ってきた大手ゼネコンや行政の態度が、ハルさんたちのささやかな夢を奪っている。

3.「共済証紙流用」府が29件工事調査 『大阪読売新聞』1998年10月6日

配布漏れ10件も ズサンさ裏付け
府土木部が5日、発表した指導マニュアルの基になったのは1995、96年度に発注した29件の工事の実態調査。証紙が全員には配布されていなかった工事が10件あるなど、労働者に行き渡っていない事実があらためて明らかになった。
実態調査の概要は、証紙購入枚数24万8666枚、延べ就業労働者28万7346人、制度対象の延べ労働者10万151人、証紙配布枚数5万477枚、残余証紙枚数19万8189枚。
証紙の配布状況を見ると、17件の工事で多くの証紙が元請けの手元で余り、対象労働者に渡らないなど本来の目的が果たされなかった。購入証紙が対象労働者全員には配布されていなかった工事が10件もあり、対象労働者を雇用していないのに証紙を購入した工事が1件だった。このほか、対象労働者すべてに配布したのと、対象労働者を雇用しないとして証紙を購入しなかったケースが各9件あった(工事件数の重複あり)。

指導マニュアルの主な内容
@下請け業者に対する監督、指導を通じ、制度の普及、啓発を図り、対象労働者を把握、必要な証紙を購入するなど、制度の十分な活用のための行為を行う。
A工事契約後1ヶ月以内に証紙購入を証明する収納書を府職員に提出。その際、証紙購入にあたって
の計画、考えを示し、配布漏れが出ないことの説明をする。
B対象労働者がおらず、収納書を府に提出できない理由があるときは、代わりに労働者の雇用計画書など関係書類を添付した「理由書」を出す。
C購入する証紙枚数は、常に必ず現場で雇う対象労働者の延べ人員数相当になるように先々、購入する。
D下請け業者の協力を得て、証紙の受け渡しを記録する受け払い簿や、月々雇う予定の対象労働者の人数を記した計画書や実績報告書を基に配布状況の説明をする。(以下、省略)。

“制度疲労"の見直し必要く解説>
府土木部が5日、スタートさせた指導マニュアルは、建設業労働者の退職金掛け金の証紙流用疑惑が発覚して3ヶ月、行政側の初の具体的な改善の動きだ。抜き打ち検査やペナルティなど、発注者として、にらみを利かす手を盛り込んだ点は一歩前進だが、もともと制度自体が国の政策。今日も全国で続く公共工事の中で、労働者救済のための膨大な証紙代がゼネコンの手の中に消えていく事態をどのように食い止めるのか。建設、労働両省の抜本的な対策が待たれる。
今回の府のマニュアルのポイントは月ごとに対象労働者をどれだけ、雇うか、元請けに証明させる雇用計画書の整備義務の新設だ。
証紙購入に関する発注者の従来のチェックは、契約後一ヶ月以内に購入証明書類を提出させることだけ。これだと、たとえ、制度の目安通りの額を購入したとしても、労働者への日々の配布は業者任せになる。ゼネコンの金庫に眠ったままになったり、現状の反省から、雇用計画に基づく証紙の配布状況を、抜き打ち検査や配布漏れを見つけた場合の工事成績点の減点措置を設け、工事終了まで監視していく狙いだ。
しかし、「結局は業者の姿勢頼みの部分が多く、限界がある」と土木部自身が認めるように、マニュアルは完全とは言えない。
目安にほぼ近い証紙代の積算額を無視し、流用が問題になってきた過小購入に対する手だてを用意していないからだ。仮に「対象労働者がいない」との雇用計画が提出された場合でも、「『絶対に買え』とは言えない」と府の担当者は言う。積算額と購入額に差がある場合の指導方針や、業者の手元で余った証紙の扱いを国がはっきりさせていないからだ。根本は1964年の発足以来、<制度疲労>している部分をどう見直すか、国の考えにかかっている。
改善策に時期について建設、労働両省は「年内にも」という。現状容認ではなく、労働者福祉、公共事業のコストの面を見据えた改善でないと意味がないのは、言うまでもない。