今年
6月11日、マスコミ各紙は夕刊において西成区で赤痢患者17人が確認されていたことを、大阪市の発表として報道した。感染者はいずれも「ホームレス・路上生活者」と。6
月19日には続報で、患者数が計34人になったことを伝えた。その後も患者数は増え、
7月10日現在計49人となっている。流行っているのは細菌性赤痢で、 最近は、重症例(シブリを伴う頻回の便意と膿粘血のみを少量ずつ排液)は少なく、頻回の下痢、軽度の発熱で経過する例が多いという。
しかし、赤痢は、特に栄養と衛生状態の悪い開発途上国で多発する病気とされており、一部特定地域での、特定層に於ける流行とはいえ、オリンピックを誘致しようとしている大阪にとって不面目この上ないことであろう。
西成区に住む人々にとっては、不面目ではすまされない。「西成」の地名にまつわるマイナスイメージが増えることになったのだから。
勿論、一番重大な影響をこうむっているのは患者となる野宿者である。ただでさえ苦難に満ちた生活の上に、赤痢感染という不安が加算されることになったからである。
大阪市環境保健局感染症対策室は発表が遅れた理由について、「周辺住民の間に不安が募り、パニックが起きるのを避けたかった」と説明したと報道されたが、赤痢が糞口伝染病の代表であり、手洗いを励行することでかなり感染が防げるとされていることから言えば、どう理由付けようとも、初期の告知と啓発の遅れが感染者を増やすことになったという批判を避けることはできないであろう。
また、かって類例のない釜ヶ崎(あいりん地区)を中心とした赤痢の流行は、これも前例のないほどの多数にのぼる野宿者が、不衛生な生活状態のまま長期間放置されていることと無関係であるとは考えられず、大阪市民政局・大阪府労働部もまた、批判を避けることはできないであろう。この状態が続けば、今年いったんおさまっても、また来年流行る事になることも十分考えられる。
本年5月9日夜、釜ヶ崎反失業連絡会が行った野宿者数調査結果によれば、釜ヶ崎周辺だけで
3,422人が確認されている。あれから2ヶ月経過した現在、釜ヶ崎周辺の野宿者数は更に増加し、4,000人近くに達していると考えられる。6月29日夕刻に行われた、乾パンを受け取るために並んだ列の先頭部分、541人からの聞き取り結果でも、野宿生活に入って半年未満のものは、541人中435人(
80.4%)であり、そのうち1ヶ月未満のものが59名(10.9%)存在していたのであるから、日々増加していることは事実として確認されている。釜ヶ崎と浪速区南部における野宿者の密集度はかってみられなかったほど高くなっている。そして、浪速区南部は釜ヶ崎地区内よりも公衆便所の数が少なく、路上生活者の衛生状態を一層悪化させることになっている。
初期赤痢発症者の中に、浪速区南部の公園で食べ物を分け合っていたグーループの1人が含まれていた。赤痢菌は腸で増殖するものであり、健康な体調であれば、多少の赤痢菌は胃で殺されるといわれている。また、感染者すべてが発症するわけでもなく、健康保菌者も存在する。軽症のものは医者にかからなくても軽度の下痢ですむ場合もある。
想像を交えて言えば、食べ物を分け合っていたグーループの何人かは軽症ですみ、あるいは健康保菌者となり、菌が拡散したのではないか。たとえば、雨で四角公園の炊き出しがセンター内で行われるときに、野宿者の密度が高くなった状況の中で、センター一階のトイレを感染経路として。
いずれにしても、釜ヶ崎の労働者を、就労対策も民生対策も十分に行うことなく、体力の衰える野宿生活に放置し、非衛生的な状態に置き続けたことが、赤痢発生の原因、とまでは言わなくても拡散の原因であることは確かであろう。
今のところ、野宿生活者とそれ以外の人々との生活上の好転が極端に少ないので野宿者以外への感染例は無いようであるが、先行きが心配されている。
『「臭い物には蓋」、赤痢も多数の野宿者の存在も、
マスコミが取り上げず、世間に広く知られることがなければ、
西成に対する見方は変わる。』との考えは・・・
西成区人権啓発推進会は、1996年に西成区全区をあげて取り組まれた「西成差別事件」(「別冊フレンド」3月号で、西成に*印を付けて「大阪の地名。気の弱い人は近づかない方が無難なトコロ」と、西成あるいは西成区を説明する箇所があった。)の総括視点の1つとして、テレビや新聞が、「ことさらに“西成”に事件性を持たせる」かのような報道をすることが、西成あるいは西成区に対する予断と偏見を生みだしていると、マスコミの報道姿勢を取り上げている。
この指摘が当を得ている事例もあることは確かである。
しかし、西成の中には、マスコミに報道されれば西成区全体に予断と偏見をもたらしかねない現実が存在することもまた事実である。
西成区広報紙「にしなり我が町」7月号(1998年25号)の消防署からの告知欄では、「放火が激増し、非常事態といえる状況」と注意を呼びかけている。
「今年に入ってから、放火による火事が増えています。5月31日現在、西成区では幸い火事にはいたらなかったものまで含めますと、放火件数は昨年の20件から今年は2倍以上の50件にまで達し、非常事態といえる状況です」と。
西成区で放火が急増していることをマスコミは報じていない。しかし、西成区民の放火への不安が無くなるわけではない。
赤痢の発生も放火の多発も野宿者が多数存在することも、マスコミが伝えなければ、西成へのマスコミ報道を契機とする「予断と偏見」は無くなるかも知れない。しかし、事実は残る。
「あんなとこ、よう住んでるなー」の声は打ち消しようがない。「そんな現象は西成の話ではない。釜ヶ崎・あいりん地区とその周辺の、極一部分のことだ」と説明し続け、釜ヶ崎とその周辺以外は「普通の町」が世間の共通認識になったとしよう。それで放火はなくなり、赤痢発生の不安はなくなるだろうか。
赤痢も放火の多発も、以上の文脈では釜ヶ崎の不況・多数の野宿者の存在を前提としている。これは野宿者や釜ヶ崎労働者への予断と偏見を煽るものだろうか。原因と結果を現実に基づいて考えることは、差別なのだろうか。多数の野宿者の存在が、諸問題の根元にある。
『釜ヶ崎(あいりん地区)を西成区域外へ!クリーン作戦で野宿者を一掃!』
の方針は実現可能なのだろうか
大阪市立更生相談所周辺住民の間で、市更相を「迷惑施設」として移転を求める署名運動が行われたと聞く。
自彊館の北にある朝日住建の建物を利用しての自彊館拡張の話も住民の反対で実現できなかった。
最近でも、地域でボランティア活動を続ける団体と民政局で実現に努力していた施設構想が、予算が付きながら民政局が地域住民の説得に失敗して取りやめになったという話がある。
西成区人権啓発推進会の正副会長が、「西成差別事件」に関連して磯村市長と面談し、現実への対応も要請した。だが、総論賛成各論反対で、日雇労働者や野宿者への対策の必要性には誰も反対しないものの、具体案が出ると、周辺住民を中心に反対論がおこり、計画倒れになる事が繰り返されている。
釜ヶ崎の労働者や野宿者を除いた釜ヶ崎・あいりん地区の住民は、日雇労働者や野宿者への対策が進むとより一層釜ヶ崎への日雇労働者や野宿者の集中が進むと考え、各論反対を続けているように思える。
極端に考える人は、南港に職安や労働センター・医療センター、市更相を移転して、日雇労働者や野宿者をそっくり移してしまう案を唱えているように聞く。
住民の多数がいなくなった街をどう再生するつもりなのだろうか。マンションや市営住宅を建て新しい住民を求めるにしても、10年や20年はかかる。その間待てるだけの資力のある人以外は、「開発流民」となって新天地を求めることになる。
概して総論賛成各論反対は現状の肯定になる。現在ある街の機能はいずれも必要があって存在してきたものであり、街の性格・住民の必要の移り変わりに対応して変化すべきものである。総論反対各論賛成は、街の機能変化を妨げ、現在生じている問題を更にこじらせ解決不能へと導いていく。
総論賛成各論反対の横行で被害を被るのは、釜ヶ崎の労働者であり野宿者だけではない。総論賛成各論反対を唱える人自身、釜ヶ崎・あいりん地区の住民総て、また、その周辺住民や大阪市全体が被害者となる。
自分たちの生活環境を守ろうとしていたって自分たちの生活環境を悪化させることになっているように見受けられる。
現実を改善する各論を練り実施することが、今最も必要なのでは無かろうか。
26号線西の街づくりに学び、26号線東のまちづくりを!
少なくとも、赤痢や野宿のない町を!
地元諸団体で統一プランを、府市へ超党派の働きかけを!
26号線西では住民の総意で新しい町づくりが始まっている。
長い商店街と高齢化の進む住宅地という地域事情に合わせ、情報の町づくりが構想されている。各家庭と商店を情報システムで結び、各家庭にいながら注文し、配達を受けられるようにしようとの試みである。これが完成すれば、各商店の専門化が進み、大型店の進出に対しても抵抗力を持つようになると考えられる。また、生活の便利さは、若い世代の転入を促進する魅力となり、地域の活力が保たれる効果も予想される。
勿論、社会的弱者の住み易さ、人権問題にも配慮された計画が実施されつつある。
明確な将来のイメージを元に、各種地域団体が一体となって行政を説得し、巻き込んで計画の現実化が果たされたように経過が読みとれる。
26号線東の事情はどうか。
住民の多数を占める日雇労働者や困難な生活を続ける野宿者の要求を汲み上げる形でここ数年行政要求を繰り返し、大衆行動を積み上げている団体がある。また、地域町内会などの団体も行政に対して要求を出している。
それぞれの要求がそれぞれの要求を打ち消し合い、結果、多くのエネルギーが費やされているにもかかわらず、それぞれが不満を持つ現状の固定となっているように思える。
日雇労働者や野宿者の「利益代表団体」は商店街や町内会の動きが自分たちの要求活動の足を引っ張っていると考え、商店街や町内会の人たちは日雇労働者や野宿者の事ばかりに目が向けられ、自分たちの存在がなおざりにされていると考えている。
地域の中に相互不信が満ちているように見受けられる。
労働者の側からすれば警察・ドヤ経営者・商店主から住民・客であるのに不当に軽視されている思いが根強いこと、1970年代労働者と共に運動する側が、警察・ドヤ経営者・商店主を敵視する言動を繰り返したこと、これらが原因とも考えられる。
しかし、幸いなことに、釜ヶ崎・あいりん地区の現状が、誰にとっても望ましいものではなく、地域の未来が見えにくいことは、地域で共有されている認識であると思われる。
この共通認識を基盤に会合を重ね、「西成町づくり委員会」に教えを請い、「釜ヶ崎・あいりん地区町づくり委員会」の結成を目指すことが急務ではあるまいか。(松繁逸夫)