スペイン・モンドラゴン生活協同組合から学ぶもの

部落解放研究所反差別部会

部落解放研究所反差別部会は、1997年1月13日、釜ヶ崎を人権の街にするための視点と方法論を求めて「スペイン・モンドラゴン生活協同組合の活動から学ぶもの」とし、1月例会として学習会を部落解放研究所教育センターで行った。以下その内容を報告する。

 

[1]労働が資本を支配する
ーモンドラゴン生活協同組合の歩み
宋接元信
(安全食品事業協同組合専務理事)

1]一般に生活協同組合の歴史は3段階に分けられる。

 第一段階はロバート・オーエン等のイギリスに始まった協同組合主義的社会主義で、ロッヂデールの町から起こった資本家の暴利から労働者を守る抵抗の手段だったが、資本との闘いの中で負けてしまった。

 第二段階はアメリカの消費生活協同組合で働く者の相互扶助だったが、一般企業と変わらなくなってきている。

 第三段階がモンドラゴン等に代表される「生産協同組合」で、人間を大切にする立場に対し注目されてきている。

2]スペインのモンドラゴン生活協同組合は、バスク地方のレニス渓谷で、スペイン内戦(1936〜1939)後、共和国軍に新聞記者として参加したカトリック司祭ホセ・マリア・アリスメンディアリエタが1943年に技術学校を創設、20人が卒業し、11人が大学へ進学した。卒業生5人で100人の出資者により、ストーブと石油調理コンロの生産を1956年に労働の自主管理方式で始めたことから出発した。

労働者は雇われるのでなく、一人160万ペセタ(1ペセタは日本の約1円)を出資して、共同経営に参加し、働いて商品を作り、輸出や販売によって得た利益の配分を受け取る。利益の10%は教育費へ、20%は内部資金として留保し、残り70%は出資額に応じて配分される。賃金ではない。バスク地方80万人のうち2万8千人が組合員である。

3]生産事業は、イ)冷蔵庫、自動洗濯機、電気ストーブ、トレンジスター、電話やコンピューターソフト等の生産部門。 ロ)種々の製造機械などを作る工作機械部門。 ハ)乳牛1500頭による牛乳・バターなどの乳製品や、養豚6000頭、化学肥料、製材等の農業部門。 ニ)スーパー225店を含む13万人の消費組合がある。総売り上げ2100億円位のスペインで7位の事業規模である。

資金はスペイン全土に支店を持つ労働人民金庫が、他の銀行より1%預金利子が高いため多額の預金を吸収して出資している。

4]教育事業は保育所3、小学校及び初等中学校3、後期中学校及び大学予備校2、各種技術学校5を有し(1988年現在)、在校生6000人、学生は工場で働くことで授業料や生活費が保障される一方、労働と教育を結合させている。ロボットやマイクロエレクトロニクス等の研究部門も有している。バスク語とバスク民族文化を堅持している。

5]住宅供給や、家事労働から女性を解放する給食6000食やパート労働などを保障している。

スペインのモンドラゴン協同組合にないのは軍隊だけと言われるくらいの地域共同体で、その原理は「資本が労働を支配するにではなく、労働が資本を支配する」という原則で、「人間は尊敬されるべきもので、一人は万人のために、万人は一人のために」の考え方にあるといえる。

[2]生協活動として学ぶべきもの
笠原 優
(和歌山オレンジコープ、泉南オレンジコープ専務理事)

生協(消費生活協同組合)の歩みは1940年代、焼け跡の物のない時に共同買い出し、物々交換のとりまとめとして発足した。生協は会員300人、発起人10人で設立できる。

第2期は1960年代に大型スーパーが大量に販売するため、防腐剤などの食品添加物を入れてきた事への対抗として、無農薬野菜や自然食品の共同購入運動が行われた。

第3期は企業としてのスーパーが無添加物を売り出してくると、生協は小さな生協を合体して、灘生協のように1県1生協と拡大して対抗しているが、世田谷の生協や大学生協などでつぶされる所も出てきている。

現在の生協は、寝たきり老人の介護をどうするかと、診療所とディケアーセンター・在宅看護支援センターをつくっているが、入院は悪化してからなので死亡率の高い診療所になっている。

また、お母さん方が日常生活の技能そのままで、「おかず」の総菜としてコロッケ・ハンバーグ等を作る店を、一人10万円づつ出して設立し、生協で売るほか、配達もしている。時給一時間千円というケースもある。

障害者の働く場所づくりとか、地域の抱えている問題を解決していく生協活動として、モンドラゴンの異業種の総合的運営は大変参考になる。

[3]部落解放運動の未来像のために
平田純博
(部落解放同盟大阪府連合会加島支部副支部長)

1970年に部落解放運動に参加し、就労闘争の中で公務員となり、不安定な労働状況がなくなった。14年前に部落の人のみ対象とした障害者会館を作りリハビリ等を行ってきた。が、1983年に白内障の人が子連れで自殺する事件が起こり、部落のことだけの運動ではだめだ、周辺地域のことを考えていかねばならないと思った。

今までの運動の行政依存体質からの脱却と、殆どの活動家が公務員ということでよいのか、昔、箒(ホーキ)やフゴを作るなどの部落産業があったが、今、新しい部落産業が必要だと思う。その意味でモンドラゴンの視察に参加した。

[4]では釜ヶ崎ではどう生かしていけるか

討論では、@行政に高齢者の仕事保障を要求している段階で、出資金方式は無理だろう。A釜ヶ崎と部落内の土建業と結合して長期的な就労保障のシステムは作れないか。B4月からのリサイクル法の施行でペットボトルの回収など高齢者向けの仕事創出は考えられないか。C大阪市は、簡単に言えば、西成区のシルバー人材センター内の仕事のひとつを釜ヶ崎に適用しているだけで、釜ヶ崎への特別施策ではない。300億円にのぼる釜ヶ崎対策費を分析し、有効な使い方・施策の提言が必要だ、等の意見が出された。

(報告:黒田伊彦)

*釜ヶ崎と情報公開* 

野宿者や釜ヶ崎の労働者の人権を守るためには、釜ヶ崎のことをよく知る必要があります。また、多くの人に伝えるためにも、情報は必要です。路上で死を迎える人は年間何人いるのか。あいりん職安発行の手帳を持っている労働者はすべて「あいりん」地区に住んでいるのか。「センター」に求人にくる業者は、どのような会社なのか。等など。

しかし、情報を独占し、選択的に公開することで権威と専横を維持しようとする「お役所」は、情報の公開要求に強く抵抗します。市民の税金で運営される「役所」に集積された情報は、要請があれば公開されるべきだと考えます。