日刊えつとう
73年12月29日〜74年1月8日(抄録)
越冬闘争実行委員会情宣部日刊えっとう社

 

73年12月29日 そうかんごう

*「『冬の陣』仲間の団結でこの冬を乗り切ろう!」

 :行政は仕事をもってこい

 毎年冬になると仕事がなくなるが今年は特にきびしい。朝5時前にセンターに出てもほとんどバスはきとらん。

手配師、人夫出しどもはワシラの弱味に付け込んでデズラは下げよるし、デカイ顔して顔付けしよる。

世の中石油危機だの物不足とかでさわいでいるが、そのアオリを一番に受けているのがワシらだ。ドヤ代、メシ代、のみ代はどんどん上げよるのに、ワシらのデズラは下がりこそすれ、上がりはしない。

それどころか、仕事そのものがあらへん。資本家(ブタ)どもは夏はこき使うだけ使っておきながら冬場は自分らのとくになるように農村から出稼ぎを安くやとい入れ、わしらを飯場に囲い込む。

それ以外の労働者はアブレそしてボロくずのように切りすてる。

 一方、行政の役人どもは何らこのことを解決しょうとはせず、スズメの涙ほどの一時金と無料宿泊施を用意しただけで、ワシらのもっとも切実な要求である『仕事を出せ』と云う要求に対しては何も答えてへん。

ワシらは何も行政のお情けにすがろうとは思ってへん。

仕事さえあれば労働して食う労働者なんや。働きたくても仕事がないと云う根本問題を解決しないで小手先でお茶をにごそうとしてもそうはいかん。

 :みんなの力で生きぬくために

 ワシらはそうやすやすと死ぬワケにはいかん。仲間が殺されていくのをみすごすワケにはいかん。

奴らが「不用物」として殺そうとするのなら生きて奴らにやり返してやる。

メシ代もドヤ代をも奪うのなら炊出しをやってテントを張ってそこに泊まる。パトロールをやって倒れている仲間をたすける。

ブタどもが胃袋の問題でワシらを切り捨てるのならワシらはまず胃袋の問題を解決して仲間うちの団結を固め奴らにやり返してやる。それが越冬闘争や

*「おしらせばん」

 :医療センター 受付時間が変わります。正午〜2時まで

 :炊事〜めしたき人募集(特に調理経験者かんげい)同じ釜の飯をくって共に闘おう!ー越冬炊事班

 :文化体育ー

3〇日「智取威虎山」(中国映画)テント村晩8時

31日 のど自慢 3角公園 晩8時

11日もちつき テント村 朝十時

 「鋼鉄はいかにして鍛えられたか」(ロシア革命のドキュメント)テント村 晩8時

3日「3里塚第2砦の人々」テント村晩8時

:朝6時から総決起集会 センター

 朝十時からテント村設営 4条ケ辻公園

 夜6時から『テント村開き』集会

*「闘いの標(まと)は府労働部だ!

 :あばれるから仕事がない!

 「釜共闘があばれるから仕事がない」と西成署は労働者に言い回っているそうな。

 今、仕事がないのはインフレ抑制のために、国ー府ー市の公共事業を減らしたり、1部の資本家が売りおしみをして、セメントや鉄筋を倉庫にねむらせているので、建築現場に品物がこない。

つまり、仕事がないということになる。これすべて「行政」の責任なのである。

 越冬闘争実行委員会は、この仕事のない冬場に「釜ケ崎に仕事を持ってこい」と、大阪府労働部に要求を出している。

もちろん去年の越冬にも同じ要求を出した。しかし、1年経過した今も、前進ある回答が出せないという大阪府行政の無能無策ぶりはかわらず、要求は釜ケ崎労働者を使いすて政策を暴露したといえる。

 :府労働部との闘い

 俺たちは、このケタオチ行政に今月17日より、ハンガー・ストライキ(断食闘争)をもって抗議・要求貫徹のたたかいを開始した。

しかし、あわてふためいた大阪府は、俺たちを暴力的に追い出そうとしてきた。守衛・大阪府警・東署のポリ公を導入して、大阪府庁前でハンストをしている仲間や支援の仲間を次々となぐるけるの暴行をはたらき、テントをつぶし、寒空に放り出したのである。

 あくる日、府労働部で再度、テントをはり、ハンストに突入した。

翌朝、又もや守衛とポリ公が1体となって、俺たちにおそいかかり、ふとんに水をかけるというハレンチな行動に出た。

この2度にわたる暴挙に対して俺たちは、府労働部に突入し、ケタオチ役人に対して抗議を行ったが、みたび退去命令を出し、ポリ公の導入を計った。

狂犬ポリ公は、俺たてを階段から突きおとし、なぐるけるの暴挙の限りをつくした。服を破られ、メガネをわられ、多大の損害をこうむった。

それにもめげず、俺たちは大阪城公園で、ハンストを続行し、テントをはった。 

ハンスト8日目の24日にハンストをやった仲間はたおれた。

それからは抗議の座り込みをつづけた。昨日は、赤旗を先頭に知事室に突入し、要求貫徹と抗議の座りこみをし、デモを貫行したのである。

 :命を守る闘いに立ち上がろう

 東京の山谷では東京都が直接に事業を起こし、毎日百人の労働者を夢の島のそうじとか、公園の草むしりなどにやとっている。

 朝9時から2時までの仕事に3千円のマンボである。釜ケ崎の1時金は4千2百円であるが、山谷は1万5千円である。

府労働部のタイマンぶりは、誰から見ても明らかだ。

 俺たちは死んじゃならねえ。

「釜ケ崎に仕事をもってこさせる」行政闘争に起ち上がり、自らの命を守る冬場の闘いをまきおこそう。闘いの標(まと)は、大阪府労働部、ネライを定め、一斉につき上げよう。

第4回越冬闘争実行委員会行政班 記

73年12月3〇日 大晦日ー1日号

 *「仲間の死をむだにするな」

 昨夜7時少し前、仲間の1人が作られたばかりのテント村へ運ばれて来た。

急救車がよばれ、2名が付きそって大和中央病院へ。

しばらくしてから来た医者は、患者をすぐ見ずに「どういう人か」ときいた。(人にどういうもこういうもあるのだろうか?)そして『死亡』の診断。

同40分頃ポリ公が来て色々根ほり葉ほりきき調べていった。病院に着くまでに死んだら、ポリ公のナワ張りなので奴らによってすぐ解剖されるものと思われる。

 死んだ仲間はもうしゃべらず帰って来ないが、生き残ったオレ達は何をなすべきか!

 死んだ仲間の死を生かす道はただ一つ、二度と仲間から死者を出さない!

殺られつづけないための団結をつくることだ。一番なんぎな目に会ってる仲間の利益を第一においた「弱者」の力強い団結をつくることだ。

 オレたちは、のんべえであり貯ちく欲もなく人間以下だと「人」は云う。

それは「事実」だが本質ではない。

オレたちの本性は、道理にかなった性質<立派な仕事をやっている>、集団主義<仲間の苦しみを自分の苦しみとし苦楽を共にし、共に闘う>であり、この点で支配者、金持ちども、手配師より強い。

やつらは、道理にそむきバラバラだから、弱く見えるものこそ強く、強く見えるものこそ弱い。

 仲間同志、かばいあって、仲間の死を生かす闘いを!

*「センターが閉まる」

 今夜でセンターが閉まる。職安も閉まる。仕事はないが、わしらの正月の為やなく、行政の奴等が正月に休む為にや。

わしらと比べたら膨大なボーナスを把んだ奴等は、労働者が殺られているのに、センターを閉めるのだ。

 これからは労働者(アンコ)がやり返さなあかん。それには普段の釜ケ崎で当たり前とされているような事から改めさせよう。例えば年末にセンターが閉められるような不都合から、あきらめずに、ひとつづつやってゆこう。

*「おしらせばん」

 越冬闘争実行委員会への連絡先は、越冬期間中「野鳥の会」から、()に(24時間だいじょうぶ)に移ります

 :もようしもの

 映画「驚異の医学ー中国のハリ」
 記録映画「953高地の闘い」ベトナム人民解放軍の人民戦争の生き生きとした闘いの記録

 :メシの時間

 朝6時ー7時半、昼11時半ー1時
 夕5時半ー7時

*「無料宿泊所の主人はどっちだ?!

無料宿泊所は行政のおなさけではない! 

俺たちが勝ちとったものであり、当然の権利だ

行政班」

 きのおから、大阪市の無料宿泊所がひらかれている。

これは『タダでとまらせ』『食わせて「くれる」ところ』では決してない。

冬になり、仕事がなくなり、俺たちは食えない。寝るところがないという状態にしているのは、なによりもまずケタオチ業者、ケタオチ行政の責任だ。

無料宿泊所は、俺たちが行政にその責任をとらせるひとつの方法として、要求して勝ちとったものだ。だから、宿泊所では俺たちこそが主人だ。

 行政は、それが何か「エライこと」「りっぱなこと」をやっているつもりになったら大間違いだし、俺たちはもっともっと不充分なところを改めさせていかなければならない。

 行政は、労働者の要求を認めるときは必ずウラで何かたくらんでいる。

無料宿泊所の場合のよい例が、救世軍だ 昨日、宿泊所の1つ藤沢会館(しのだ山)へ仲間が実態調査に行った。

ところが、市の職員は最初俺たちを中へ入らせようとしない。こんなバカな事はない。俺たちの勝ちとった宿泊の実態がどうなのか、様子を見に行くのは当たり前。押し問答の末、やっと中へ入ると、そこにいたのは何と、去年の森之宮の宿泊所と同じく救世軍であり、市の職員は2人だけだった。

救世軍という連中は「かわいそうな人々を私たちで助けてあげる」という考えの奴らで、それを仲間にふきこんでいる。

俺たちは「かわいそうな人々」ではなく、誇り高い釜の労働者だ。

市が奴らに下請けさせるのは、「アリガタイことをやってくれている」と思い込ませ、俺たちを骨抜きにし、宿泊所を『収容所』にしようとたくらんてせいるからだ。

このたくらみを打ち破り、宿泊所を闘いの成果・権利として打ち固めていくためには、俺たちの団結と闘いが必要だ。

 これから宿泊所へ行く仲間は、大きな顔をして行こう。不充分な点はあらためさせよう。

救世軍がむりにおしつけてきても「賛美歌」など歌う必要はない。

今日も信頼できる仲間が、実態調査に行く。団結とは、1人が声を上げた時に、皆がそろえて声を上げることだ。闘おうとしている仲間をこりつさせてはならない。

*「テント村開きの集会が開かれる・きをつけること」

 きのうの晩7時から、このテント村開きの決起集会があった。

きのうわしらの仲間が非常に少なく、支援部隊の人たちが目だって多く感じられた。越冬の闘いをまだ知らない仲間へここの闘いをみんなで伝えよう。

 炊事や医療などのテントがたっているが、その責任者から仲間と支援の人たちへ、それぞれの役割と注意してほしい事がらが報告された。

 :事務局(本部)ー

#食ったり、寝る時には絶対にテント村をありがたく思っては困る。ここにこざるを得なくした資本家・行政・ポリ公どもへの憎しみをこめてメシを食うこと。

#ここの「資本(もとで)」は、仲間うちや支援の人たちのカンパでまかなっているので、別にえんりょうはいらないが、まず第1に老人・病人のことを考えること。

#支援の人へー労働者(アンコ)とじっくり話すこと。労働者(アンコ)との対応は批判と学ぶこと。両方をやり切ること。

 :行政班ー

無料宿泊所に行く時に、わしらは絶対に頭を下げてはあかん。当然やるべきことさえやらず、今年も救世軍に肩がわりさせている行政こそ悪いんや。だからわしらは待遇改善をどんどん要求し、救世軍を追っぱらおう。勇気をもとう!

 :警備班ー

#私服のまぎれこみ。仲間の長靴、金をかすめとる奴に注意。

#重病の仲間から寝ること。 

#長屋の便所はハリ紙のある2つだけわしらは使える。長屋の人たちに迷惑をかけずに掃除はわしらでやろう。

 :文化体育班ー数多く映画をやるけど、もう1度見たい映画は再上映します。希望があれば本部まで。

 :パトロール班ー#メシ食ってない仲間は炊事テントからメシが出ます。#重病の仲間は医療テントへ。

 :炊事班ー

きのうはじめて炊出しをやったが、1人で2度も3度も食う人間がいたのは残念なことやった。そのことが原因でまったく食えない仲間も出た。メシの時間と規則は絶対守らなあかん。

73年12月31日 大晦日号

 *「昨日も仲間が殺られた・仲間の闘いを組織し、労働者の世界を建設しよう!」

 こんな世の中だから、仲間をしのぎながら生きようとするしのぎも増えている。

労働者仲間のあいだから、「こんなに殺られてたまるか!」「ガンバッテいこう!」と声が上がってきている。

あまりにヒドイ商店や業者のやり口に「商店の奴等は日頃からボッタクリやがってとか、この労働者の苦しい生活を、石油危機やインフレにかこつけ、よりひどくする業者に対し、「やるんやったらやったる」との声もある

 :わしらのテント村やないか


 仲間がテント村を作って2日たった。村は、仲間が労働者自身の力を合わせ、業者・ポリ公や行政を叩こうと作ったのだ。ほどこしを受けるんやない。わしらの闘いや。村や。わしらが越冬するんや。

 :生活を闘いとるんや。

 明日は正月だ。来年は、不況下のインフレで、ますます仕事がなくなるだろう。

だからこそ、来年の生活へ向け労働者は団結し、闘っていかなあかん。

昨晩は、ベトナムの戦う人民の映画などがあり、殺られているのは釜ケ崎だけではないことを観た。ベトナム人民は、世界の殺人鬼である資本家集団=帝国主義に殺られていた。だが、彼らは仲間を組織し、血と汗を流しながらしんぼう強く、武装し戦っている。そして彼らは、働く仲間の社会を建設しているのだ。

わしらは、まだまだ力が足らんが、まず団結せなあかんやろ。この釜ケ崎から悪徳業者をなくそう。生活を闘いとるんや。

 :わしらもカンバルぞ!

*「おしらせばん」

「医療」ー衣類のない人・医療テントへ(上衣・ズボン・下着など)

*「のど自慢大会、今晩7時から、3角公園」

 ♪たてーうえたるものよ…
 ♪天に1つの陽があるように…
 ♪ここは御国の何百里…
 みんなでうたおう。のどに自身のある者は集まれ!みんなできこう。仲間のうたごえを聞こう!
 ♪義理と人情をはかりにかけりゃ…

*「行政闘争・役人に要求をまとめよう!」

 :更生相談所は文句をいわんと、来た仲間に無料宿泊所を、すぐしょうかいしろ」

 :藤沢会館(しのだ山)は、救世軍が朝、夕めしの前、賛美歌を歌わせ、めしの後、3〇分、説教をたれよる。

 フザケルな!救世軍が、金だしてやってるのやないのや、オレらが市や行政に要求して、行政の当然の責任として、市にやらせとるのや、市の役人が正月、仕事をサボリよるから、救世軍を雇ってるのや、奴らは金を市からもらってその上、仲間が食うめしを、当然の様な顔をして食べとる。

フザケルナ、オマエらは、メシ代は自分で払え。皆、賛美歌なんか歌わんと、さっさとメシを食おう。説教なんか聞かんと、サッサッと部屋へもどって、みんなで話し合って待遇を改善させよう!

 :市立労働会館(森之宮)タバコが4日まで8本

 7日間で8本なんて、1日1本ということや!これはタバコを出してるという名目にすぎへんやないか。又部屋によっては出してないところもある。

役人はチョロまかしよるんや。1日ハイライト1箱を出させよう。お茶も部屋にあらへん、ストーブの上に置いとけば、すぐ、わくんや、お茶を出させよう。タコ部屋とちがうんや。テレビも、うつりが悪かったらかえさせよう。

条件が悪かったらガマンしてたらあかんのや。役人にいうて、やらせなあかんのや。ケガ人もようけおる。だけど役人は、自分らから治療させよう。収容所とちがうんや!

メシにもシンがはいってて固いのがあった。こんなの食ったら腹を悪くするだけや。こんなもん食わせるなんてオレたちは人間なんやで。

 :要求をまとめて、待遇を改善させよう!

 施設によって、色々条件がちがっとる。現場の市の役人が予算の中でかってにやっとるんや。藤沢会館では8本のたばこさえ出えへん。奴らは、できるだけ、少ない金でやろうとしてるんや。だまってたら何もしよらへん。

それぞれの部屋の仲間とも話しあって役人をよびつけて、やらせよう!

4日以降も追い出されたら、仕事がない、オレらは困る。4日以降も無料宿泊施設を延長させよう!

市のもっとえらい役人を呼びつけて、要求しようやないか! ガンバッて闘おう!

行政班

*「闘うためにメシを作るのだ!」

 4日施設から千人の仲間がたたきだされる。仕事か、施設延長を闘い取らなあかん。

テント村は、それらの闘いの基地である。

だから、テント村は、メシを食って、ねる所ではない。

基地であると共にアオカンをやって弱っている仲間、アブレて食えない仲間のメシを確保し、闘う決意と、「1人が皆の為に、皆が1人の為に」という作風を身につけ、共に闘っていくためにある。

施設へ闘う仲間を送り、闘う労働者の組織を作れ。

闘う仲間が必要とするかぎり炊事班は、施設でも、府庁でも市庁でも、ナベをかついで、一緒に行くぞ! 

腹がへったら、資本家(ブタ)・行政をのろえ! 

アオカンの寒さが骨身にこたえたら、敵と闘え! 

行政は飢えと寒さが闘う労働者を作る事を防ぐために、メシとベッドを用意するが、越冬炊事班のメシは闘う為に食うのだ!

 炊事班

*「たずね人」

 宮崎出身の〇村〇夫さん。親方がいなくなったので、尾崎の〇谷さんの所へ安心して帰って下さい。テント村を姉さん夫婦がたずねてこられました。

74年1月1日 元旦号

*「仲間の怒り爆発・73年をしめくくり、今年こそ組織しよう!」

 昨晩、越冬実の『のどじまん大会』の後、戦う仲間がポリ公と激しくやりあった。

三角公園からテント村に帰った仲間は集会をもって、1年のしめくくりとして、日頃腹にたまっていたことを話しあった。

ポリ公や業者に殺られ続けていた仲間は、「闘おう」「いつまでも黙っとかへんぞ」「やり返すんや」とテント村から抗議のデモをやった。

仲間の怒りの声におびえた見張りの私服が、制服の警官隊に助けを求めた。

村から出たデモ隊は南海線ガードわきの路上で警官隊と激しく闘い、数十人がぶつかり合った。

 :弱いものいじめのポリ公

 デモの仲間は力を合わせて仲間を守り抜いた。だからポリ公共はその腹いせに歩いている仲間に襲いかかり、パクッタらしい。

 :武装しなければ気の安まらない敵

 働く仲間の敵(資本家・ポリ公等々)は、1昨年来の、わしらの力におびえている。わしらの敵は心底からおびえきってるから、武装して追けまわすんや。

 :あわれなけだもの

 何もしていない仲間がパクラレた様なので、村の仲間が実力で抗議に出ようとすると、ポリ公共はけちらかしにかかり、病人テントにまで襲おうとした。奴らはみさかいや分別を持っていないのだ。

 :わしらは明日に進もう!

 昨年、釜では敵にやられ続けた。昨日もまた、正当な抗議をポリ共に圧殺された。なんでわしらがやられるんか、どうしたらやり返せるんかを、その後仲間で話しあった。

 話しあいで、昨日の「闘いは悪徳商店への警告となった」「よく考えて抗議しよう」などが出た。これは力をあわせ、強く結びつき、組織を固めようという内容である。

 わしらが闘いを進め、少しづつ勝ちとってゆくなかで、わしら自身も向上せないかん。どんなときでも、仲間と共に進んでゆくのを忘れたら、敵にすきを見せることなんや。敵の力を打ち砕く力をつけるために、昨日をわすれず、明日へ共に進もう。

*「おしらせばん」

 :警備について

 1、『しのぎ』は見つけしだいにたたき出そう。長靴・地下タビは枕もとに置くようにして下さい。
 2、便所は2つ借りてある。会場内のいたる所で小便をしたりせず、便所まで! テント村を美しく!

 :文化体育

今日、朝十時から、もちつき。晩7時から、映画「鋼鉄はいかにして鍛えられたのか」「ラオス解放区」 

上映予定2日ベトナム人民は世界人民と連帯する

3日3里塚第2砦の人々

4日前進する南ベトナム民族解放戦線

5日水俣患者さんとその世界

*「山谷の仲間から電報来る!」

 [電文]山谷より釜の仲間たちへ、山谷・釜ケ崎・横浜寿町、共に越冬闘争勝利、生きて奴らにやり返せ。

    山谷越冬闘争実行委員会

 山谷の仲間も冬場は仕事がなく、わしらと同じ苦しみを味わされている。電文にもあるように、山谷の仲間も生きて奴らにやり返す越冬の闘いを、昨年からはじめた。

わしらは、山谷の仲間、寿町の仲間、全国の仲間とかたく団結して、共に闘おう!

*「無料宿泊所の仲間へ団結してたいぐう改善を勝ちとろう!

行政よ!4日以降もへばりつくぞ!行政闘争 

わしらの団結の力ほどたくましいものはない。仲間が会館へ入った時の状態を思い出してくれ。

役人や救世軍の態度が余りにデカイので、悪いのは行政でなく、いかにもわしらであるかのようにだまされていた。

だからわしらは闘った。タバコを1日10本ださせ、食堂ののう書きビラをはがさせた。

わしらは釜のアンコや。徹底して要求は通そう。

 釜のアンコは場所はちがっても、みんな、どこでも闘っている。

藤沢会館(しのだ山)の仲間は、特に労働会館(森之宮)の仲間の闘いに学んで、仲間を助け、一つにまとまり、かたく団結して闘おう!

 :労働会館(森之宮)の仲間たちへ

 労働会館の仲間たちの闘いが、今1番進んでる。

 きのうも団結してわしらは闘い、タバコが毎日ハイライト1箱になった。

医薬品を買わせ、医療室をつくらし、看護婦を2名つかせた。

将棋、ごばんをださせ、新聞を買わせ各部屋に配らした。

救世軍のいや味な集会映画をやめさせ、朝食時間を7時からにさし、パンをメシに変えさせた。

残飯は出させへんし、お茶も各部屋に出さした。

これだけではわしらは満足せえへん。

わしらは好きこのんで宿泊所なんかで正月なんか向かえへん。わしらに仕事があるなら、わしらは働いて釜で仲間と楽しい正月をむかえられるんや。

 わしらから楽しい正月をうばったのは、どこのどいつや。

行政はなんとか1月4日にはわしらを追い出そうとたくらんでる。

仕事のない釜に帰されたら死んでしまう。行政が仕事を出さん限り、わしらは1月10日まで宿泊所にかじりつこう。行政は、宿泊所を4日以降も延長しろ!

*「仲間へ!釜の釜係より」

 12月31日、夕食時、炊事班の配食係の者に2度食いと誤解され、名誉を傷つけられた労働者が、怒って反撃した。労働者にとって、名誉は命をかけても守る程重要なものなので、彼の怒りは当たり前のことである。

 なぜこの様なことが起こったのか?「炊事班の務めは皆がカンパで集めた食料を仲間に平等に分配すること。」という原則を理解していなかったためである。

 「食わせる」という考え、しんどい目をして食事を作っているために、恩ぎせがましい発言、態度があった。これらを反省する。

 自分のことしか考えないのと同じように、「人より多く働くから、人より偉い」と考えるのは、間違っている。

今後炊事班はつとめをまっとうするために、相互批判をやりぬく!各々の自覚を高め、越冬闘争をやりぬく!

 炊事班 

*「大晦日ののどじまん」 文化班

 きのう、晩7時から、3角公園で、寒い中を百人以上の仲間が集まり『のどじまん大会』をやった。

 仲間どうし、1緒に楽しめてよかったと思う。だが、これにおびえるポリ公が、後でジャマをしたので気分を悪くした。次に唄う時は、最後まで楽しくやろう!

74年1月2日 第21号

*「確約書取る!・しのだ山・藤沢会館」

 私は2〜3日の間仕事が出るよう努力します。しかしその間仕事が出ない場合は個々のケースによって相談に応じます。場所は中更相です。それでもなお仕事が出ない時は、最低十日まで宿泊を継続します。

 大阪市民生局福祉部長 高野謙一

 きのう、おれたちの仲間が多く行っている無料宿泊所5ケ所全部の期間延長を勝ち取った。

最高責任者である大阪市民生局福祉部長の高野謙一は、藤沢会館(しのだ山)の仲間全員237人の固い団結の前にひざまづき、釜ケ崎労働者の要求をすべてのんだのである。

*「仲間と共に『闘う医療班』に生まれかわりを!

オレ達の苦しみを話しあえないようなテントはつぶします」

 今年の越冬のたたかいについて、闘う仲間からいろいろ批判がでている。

一番よう言われてるんが医療テントに対しては、入りにくい、腹の底から相談んしあえない、という声だ。

これはどえらくケシカランことや。おれたちがやらなあかんのは、今の病院の医者や役人どもの「手元」でなく、そんなハバきかせてるやつらの頭をおさえこみ、殺られつづけないためにたたかうことや。

「行政班」の仲間に学び、おれたちは今日からテントを作り直す!

クスブリの面倒を「学生さん」がみているような今のテントはつぶす!

そして、仲間同志、肩くんでやってゆけるようなテントにつくりなおそう!主人公はおれたちだ!

病院でくやしかったこと、困ったこと、相談しあい、智恵と力を合わせて・闘おう!

今日、昼から受付開始!

 阪和・大和中央などの釜の仲間を食いものにする悪徳病院に対して闘いを

*「パトロールのなかで」

 パトロールは各班の中で労働者が比較的多く参加している。

むずかしい技術が必要でなく、きやすく参加できるということも1つであるが、重要なことは、1人の死者も仲間から出さないという越冬闘争の1つの主旨が理解されてきつつあるからだと思う。

いつ自分が路上でブツ倒れるかわからないのだ。

 率先して急救自動車につきそう労働者。テント村には仲間もいるし医者もいるからといって是非ともテント村に来るようにアオカン者を説得している労働者。グタットなっている人をひょいと自分の肩にかついで運んで行く労働者。

 このような積極的に活ヤクする労働者によって越冬闘争は支えられていると思う。

*「おしらせばん」

 :もちつき大会ー朝十時から

  昨日、段取りがつかず、今日になりました。スミマセン!

 :本日の映画ー7時から

  「3里塚第2砦の人々」「智取威虎山」カラー プロ文革後の新しい革命京劇。

 4日 前進する南ベトナム民族解放戦線 5日水俣患者さんとその世界

*「大衆団交に勝利したぞ!・待遇改善・宿泊期間延長最低十日まで」

 :確約書をとるまでの闘い

 237名の仲間が1階の1室に全員集まったのは、5時少し前だった。部屋のまん中の1段高い所に連れてこられた市の職員は4人、ボスの保護係、川上ら3人が座らされた。

 「森之宮の労働会館は1日1箱でているのに、ここでは十本とはどういうことや、おかしいやないか」

 しかし職員は十分くらい何も答えない。みんなは「お前口ないんか、おしか」というと、ようやく重い口を開いた役人はポツンと「もっともです、20本にします」

 そういう要求をたてつづけに出された職員は、「ちょっと相談します」といって、4人で頭をよせあい、しばらくすると「もっともです、そうします、はい」

 これらの要求は、ごく自然に、仲間の毎日の生活の不便さの中から、にじみでたものであり、それに対して役人たちは、おろおろするばかりであった。続々と救世軍に対する苦情がだされているそんなとき宿泊所の最高責任者である高野が、やってきた。

 「もう君たちはいい、帰っていい」という。そのでかい態度に仲間はみんな怒り出し、団交はいよいよ騒然としてきた。

 今までの4人の答えを全て認めたうえで、救世軍の話に入ると急に開き直り出した。

そして、救世軍の話は進まず、施設の期間延長のことに移った。「延長せん限り、あんたをここから出さへん」「この施設を出されたら、俺たちは死ぬんやから、いっしょに死のうやないか」

 話は長びき、夕食の5時前に集まったから、メシ抜きのままである。時計は8時をすぎようとしていた。

 つかれたのか、最初は4日には施設をとじるといっていた高野も、少しづつ、言い分をかえてきた。

 「生活のことはわかる。仕事がでるまで延長しよう」

 そのことばをようやくとりつけ、1筆かかせたのは、もう9時をすぎていた。そのあとみんなは勝利のかちどきを上げ、食堂へかけこんでいった。

*「村民」一参加者の意見ー

 テント村を開いて何日か、たった。

医療班の準備をするときは「専門家だけが我がもの顔してのさばっている病院、そんな医療をつぶすため労働者が自分達の医療を作りだそう」
「やられつづけないために自分達の医療を作り出し、やりかえすまで闘おう」とはりきっていたのに、テントを開くとどうもおかしい。

お医者さんと看護婦さんが治療をひきうけている。話のある労働者は病院みたいに追い出される。

なんだか大和中央や阪和と少しもかわらない。ここで傷の手当てをいくらりっぱにしても、胃の薬を1服のんでもやっぱり「殺られつづける」ことにかわりがない。どうしたら「殺られつづけずにやりかえせるのか。」

 ひどい病院や行政と闘い、みんなでそれをかえていかない限り「おれらの医療」なんてみつからないだろう。みんなで「どうしたらやりかえせるのか」を出し合おう。そしてたくさんの仲間のいる病院なんかに出むいていって闘おう!。

*「おしらせばん」のつづき

 :労働問題

 「賃金の未払い」や「暴力事件」などがあったら、仲間と解決しよう。テント村事務局へ![テント村本部]

 :原稿募集

 団結するために批判を重ねよう!現実をみつめよう!事務局テントに持って来て![日刊えっとう社]

74年1月3日 第22号

「テント村を強化しよう!ーたきびをかこんで全体集会ー

 きのう、夜間パトロールのあと、テント村の仲間を強化するため、全体会議がひらかれた。山谷の仲間の「共に闘い」「協力して助けあっていこう」の呼びかけがあった。

今後どう越冬闘争を進めていくのかを、炊事・行政・医療等各班から、問題や報告がだされた。

 結論が出ない状態で、不充分な集会ではあったが、越冬闘争勝利へ、仲間作りを進め、更なる闘いの強化が問われている。

 #釜ケ崎越冬闘争で、仲間の組織化を強めよう!
 #『行政闘争』の質を更に高め、勝利を!

*「山谷・寿町から」

 山谷と横浜の寿町の仲間が、釜の越冬の苦しいのを聞いて、13万円も、わしらにカンパしてくれた。

山谷の仲間・寿町の仲間も、越冬闘争を暴力団や悪徳業者、ポリ公の弾圧の中で闘っている。そして、わしらの越冬が苦しいのを聞いて来てくれたのだ。寿町の仲間も今年から初めて越冬闘争を始め、苦しい中からわしらにカンパをしてくれたのだ。

 全国の仲間は、悪徳業者・ポリ公との闘いの中で、血となり肉となり、結びついている。わしらは全国の仲間と団結し、わしらの世の中を作っていくのだ。

 山谷・寿町・釜ケ崎越冬万歳!

*「日刊たまひめ(山谷)よりのメッセージ」

 #寄せ場火山帯の火のように熱い連帯万歳!
 #釜と山は血で結ばれた兄弟だ!
 #日本列島の最下層人民・被抑圧民族の団結を!
 全世界の人民はやり返す!
  74年元旦朝  たまひめ新聞社

*「パトロールのなかで 第1班」

 パトロール第1班は、南海ガード西側の、国道26号線までの区域を受けもった。

この区域は青カン者は少ないが、花園町いずみ屋近くの陸橋の下にふとんが1組あって、いつも誰かが寝ている。

それと、南海ガード下に、1人いつもふとんに寝ていて、もう1組人はいないがふとんがある。

しかしこの前の反省で出たことだが、ふとんにくるまった青カン者でも一応起こして様子を聞いてみた方が良い。

 きのう1月1日は花園市場入口前の通りに1人、きょうは南海ガード西側沿いの通りに1人、ひっくり返っていた。夏なら酔いざましに良いが、冬ではほおっておくと危ないのでテント村に連れて来た。

*「おしらせばん」

 :きょうの映画は!

 「3里塚第2砦の人々」…今年も山谷には、3里塚からようけ物資などの支援があった。見よ!ポリコーどもに対するその執念の闘いを!

 :上映予定

 4日「前進する南ベトナム人民解放戦線」
 5日「水俣病患者さんとその世界」

*「続々と団交に勝利[藤沢会館(しのだ山)・労働会館(森之宮)・長柄寮、豊崎寮(天六]」

『市立労働会館で勝ち取った確約書』 

本部において仕事がでるように努力し、それでも仕事がでないときは、最低十日まで無料宿泊施設を継続します。

昭和49年1月2日

大阪市民生局福祉部 母子係長・保護課主査・労働会館主査・庶務課主査・年金課第1年金係長

 [森之宮]

300人の仲間がきのう、1昨日のしのだ山の確約書を役人共に認めさせた。そして救世軍=チンドン屋への苦情をまとめ、「救世軍の活動を1切やめる」「軍服を着ない」「夜中に見まわらない」を確約させた。

待遇改善は「新聞は10人に1部づつ配付」「週刊誌は各部屋の十冊で十日まで3回交換」「洗たくバサミ・ロープをふやし、ハミガキ、カミソリ、石けんを4日に配付」を認めさせた。

 今日の1時からの団交には、11日に出て行く時の金1万円、パッチ、くつ下の配付、4日以後の入浴、運動する道具、おやつのモチなどを要求する

 [しのだ山]

229人の仲間が集まって、確約を実行させるための組織づくりを行った。各部屋ごとに相談し、代表をえらぶ。われんばかりの拍手で自己紹介。こうして藤沢会館の仲間は闘う組織を作った。

 [天六]

280人の仲間が2つのとなりあった寮で、職員のピケを粉砕し団交を行い、要求をのませた。『モチ』を食わせろの要求は、300円を出させ、1応納得せざるを得なかった。ここでも、団結の署名を全員が行った。

 #施設に対する闘争はすでに、要求を出し、それを認めさせるという状態ではない。奴らにそれをどのようにして実行させるかに闘争がかかっている。それには仲間の団結した強い力がいるのだ。筋道をたて、闘いに勝つために、組織しよう!(行政班)

*「仲間へ!釜の釜係より」

 毎食後いつも残飯がバケツに3分の2程でる。これがもし残飯でなければ幾人の労働者が空腹をみたす事ができるか、といつも思う。

日をおって食事時集まってくる仲間がふえ、いつも見当が狂ってメシができるのが遅れ、並んでまってもらっている。これらは残念なことだ。

 メシ時だけきて、あとはいなくなる人がいる。ドヤ銭だけしかない人などがくるけど、体の弱っていない動ける仲間は、村で何か仕事をしよう。

炊事班は仲間に平等にメシを配る任務を持っている。行政の施設やメシ屋と違う。仲間がやっていて、銭を取らないだけとも違う。村のメシは闘う為に食うのだ。

 少ないメシを仲間でわけよう! 体の弱いものをいたわろう! 前線で、基地で闘おう!(炊事班)

*「村民」

 俺達はなんのため、だれのために越冬闘争をするのか。仲間達は越冬の本来の姿は、いつも手配師やポリ公やヤクザ達ーケタオチ共に、釜のアンコはいつも殺されている。

だから俺達弱い釜のアンコが、みんなの力で仲間を助けるために越冬という闘争をやったのだ。

俺達は越冬闘争が学生や釜共闘のためにあるのではないと思う。

越冬は釜ケ崎のアンコのためにあるのだ。

だから俺達釜のアンコが力を合わせて炊事や、みまわりをしなければならないと思っている。

俺達はぜったい学生の力にたよってはいけないと思う。本来越冬は俺達だけでやらなければならないとだめなのだ。

越冬を勝利してポリ公に勝ち、手配師に勝って、ヤクザに勝って、皆の団結で皆の釜ケ崎天国をつくろうやないか。

 12月31日のデモの時、ポリ公は何もしていない労働者をどつき、けり、十人位にケガをさし、1人は頭をわられ1人はうでをおられた。

皆は頭にきていたが、釜ケ崎の労働者はまだ力が弱い。釜ケ崎の4〜5万の仲間が団結し、ポリ公をおい出し、勝利しよう。釜、全国、全世界の労働者と団結してガンバロー。釜ケ崎解放!西成署粉砕!(釜の1労働者)

74年1月4日 第23号

 *「闘いの山は来た進め!」

 働く仲間達! いや、働く気持ちと体を持っていても働けない仲間達! 

 タバコ1本のことが、ついには宿泊所の完全解放、仕事がでるまで最低十日間の延長、そして毎日19〇〇円を出させるところまでいった。

 しかし、1番大切なおれたちの要求はまだ未解決だ。

 仕事さえあれば!

 そんなおれたちの願いはまだふみにじられたままであることを強く思いおこそう。大阪市は大阪府に特別公共事業を、とりあえずの仕事を出すように相談するという。

 そんな甘っちょろいことを信用するほどおれたちはノオナシだろうか。コッパ役人にいうことをきかせるのはおれたちの力以外にないことを宿泊所での闘いで学んだはずではないか。

 府のコッパ役人に仕事を出させる闘争に仲間は起とう。労働者だましいのみせどころは今日きたのだ。

*「解放教育の推進を闘う高校生より 

僕等は越冬闘争に参加し、釜のおっちゃんらと話す中で、社会の底辺の矛盾・差別の現実を考えてゆこうと参加しました。

話すうちに、今までまわりの人たちから教え思いこまされた「釜ケ崎はこわいところや」という偏見がなくなっていった。

また差別され貧しい生活を余儀なくされ定時制高校にしか行けぬ僕らの生い立ち、僕らのオヤジの生活歴と、おっちゃんらの釜へ来なければならなかった生活をつきあわす中で、差別された者どうしが手をつなぐようになるのをより考えるきっかけができたように思う。

 僕らは、去年12月今宮工業高校(定時制)の仲間を中心に越冬闘争のための体育館解放の闘いをやった。

でも再三団交したが、学校の主事は約束を破り、校長はトンズラし、西成署に警戒出動体制がでて、学校と権力一体の弾圧があった。そのため体育館解放を勝ちとれなかった。

 越冬闘争に参加し、青カンで夜をすごす寒さを体験して、来年こそは体育館を解放させ、より釜のおっちゃんと連帯し、団結していこうと思ってます(高校生越冬支援実行委)

*「おしらせばん」

 :きょうの映画は何だろ?

 「ベトナムは世界人民とともに」 
  (50分間・夜6時30分から)
 トンキン湾事件以後の南北両ベトナムの、激烈な闘争を描いた人民戦争の記録映画。

 :寿からの電報

 横浜寿より釜の兄弟達へ!
 寿も越冬に起つ!越冬に勝利しよう
 全国寄せ場闘争勝利! 釜ケ崎ー寿労働者の団結万歳!
 日本の夜明けは、俺達労働者の手で
                        寿越冬実行委員会

 :文化体育班より

 5日夜の「映画」は『水俣…』ではなく、チョソン革命映画『血の海』です。少し長いので早めにはじめます。場所はテント村のいつものところです チョソン人民は、日本・ロシア・中国などの「大国」に囲まれ、しかも長い間植民地として差別され、「自分たちが主人公である」との自覚を長いたたかいの中で持つようになりました。オレたちも、誇りをもって、仲間の団結をかちとり闘うぞ!

*「特別公共事業をうばえ!170名の団結、つるしあげ」

 昨日の確約書

 「府労働部に対し仕事(特別公共事業を含む)を1日も早く出すよう再度要請します。

従って現段階において十日までとし、その後のことについては、協議して返事します。なお返事は、1月8日にこの場に私が来て行います。

マイクロバスについては各方面に問い合わしましたが、非常に困難であります。従って、それにかわる交通費として実費2百円と交通事情を考慮してその他の経費として3百円といたします。

以上他の施設についても同様といたします。ただし交通費については実費とします。

 昭和49年1月3日    民生局福祉部長 高野謙一」

 藤沢会館の仲間たちは、またもや行政のボス高野をやっつけた。いつも仲間が集まる部屋に会館の仲間とテント村から来た支援の仲間が集まり、宿泊所の延長問題を相談していた。

そこへ何の前ぶれもなく、西成分会と高野がやって来た。飛んで火に入る夏の虫とばかり、仲間は部屋の真中に高野をひきずり出し、つるしあげを始めた。高野はついに要求をのみ、確約書をよみあげた。勝ちどきの拍手がわれんばかりになりひびいた。

*「いつまでもバカにされへんぞ!大和中央に抗議」

 テント村からまた仲間が急救車で運ばれた。そしてこれもまた大和中央病院へ行ったが、まともにみてもらえず帰れといわれ仲間につきそってもらってやっとのことで帰って来た。

知らせをうけたおれたちは「無責任な医者を許さず仲間の入院を認めさせよう」と呼びかけた。60名の仲間がすぐに大和中央へ行って抗議した。

すると事務長高橋某が現れ、しぶしぶ、医者にキチンと見せるようにというおれたちの要求を認めた。入院は決定された。(もともと入院する必要があったのだから当然だ!)

 しかし、今回に限らずしょっちゅうこんな人をバカにしたことをやってるので、おれたちは承知せず、あやまれと要求、大衆団交をやった。

その場で・高橋は「私に権限はない」などと言ったり(じゃなぜ帰らせたんや!)、一方で入院の必要を認めたりでシドロモドロ。最後に仲間に対して次のように1筆書いて署名した。

「 自己批判書  当病院は、×××氏を、急救車で運ばれたにもかかわらず、検査、診断もせずに、返したことを、深く自己批判し、今后このようなことにならないように、病院としての十分な診療を行うことを約束します。また、他の病院に移す際は、患者との十分な話し合いなくして病院を追い出すことはいたしません。

 昭和49年1月3日  第4回釜ケ崎越冬闘争実行委殿   (大和中央病院事務長)高橋」

*「なぜ我々は映画を上映するのか」

 まず、日本ではプロレタリア階級の立場に立ったプロレタリアの文化芸術がほとんどといっていいくらいない。

あるのはポリ公をほめたたえた映画・TV・やくざや支配階級を賛美した映画やポルノ・マンガがはんらんしている。

そうした文化芸術は労働者を堕落退廃し、いつまでも奴隷の状態におく何ものでもない。くそ面白くない世の中は!

 酒を飲み、バクチをし、体をだめにしていくような状態、あるいはさんざん搾取と抑圧をうけ、殺されていく状態をなくすには、プロレタリア階級が今ある制度をぶっつぶし、プロレタリア階級独裁による革命以外にはないのだ。(釜ケ崎ではこうした映画は喜ばれている)。

 我々はこんな世の中(ブルジョア社会)に住んでいるから、たえず間違った考え・思想(ブルジョアの立場に立った考え方)及び危険な排外主義差別思想(朝鮮・中国人べっ視、例ーチャンコロ…同じ搾取抑圧を受けているアンコに優越感差別思想を与える)その他、誤った考えを持っている。

 世界観(ものの見方考え方)を変え、お互いに階級意識を高め、労働者は団結し敵に打ち勝ち、労働者を搾取と抑圧から解放へ向けての明るい展望をつかむためである。 <文化体育班>

74年1月5日 第24号

*「釜の雄叫びをきけ!」

 釜の仲間達、仕事よこせ闘争は、仲間の闘う熱気と興奮の中で、釜と無料宿泊所ー大阪府庁をブチ抜いて闘われた。昨年のメーデー以来忘れられていたかに見えたワシラの闘いは、再びこの釜に蘇えった。

:団結した労働者

 午前8時、無料宿泊所で闘いを経て、団結の力を勝ち取った仲間達は、釜の仲間と合流すべく、続々とテント村に集結した。

テント村の労働者と共に強固なる部隊を編成し、「仕事をよこせ」の雄叫びと共に、府庁へ進撃を開始した。

「仕事をよこせ!特別公共事業をおこせ!」のムシロ旗を先頭にした3百の部隊は、百数十メートルの長蛇をつくった。

:森之宮=府中枢に攻撃

 府庁玄関前に座り込んだ仲間達は、今まで俺達を殺り続け、ハンストを見殺しにし、コケにしてきた大阪府に怒りをぶつけた。更に部隊は、労働部・知事公舎を揺がした。

:釜ケ崎をつらぬく力

 仲間達が釜に戻ると、拍手に迎えられ、デモは千数百にふくれ上がった。 (行政班)

:闘うことで鍛え抜こう!

 組織はある程度固まっている。だが、その内容を越冬闘争の的=仲間が助け合い仕事のない時期を乗り切る、と比べると困難が多いだろう。支援、テント村の仲間の向上と更なる闘いがそれを保障するだろう。  (編集局)

*「本日の予定」

 特別公共事業をかくとくしょう!
 8時、テント村集合/8時半、府労働部へ

*「今朝10じ更生相へ。恨みはらそう」

 1月3日足首を骨折した仲間が、医療センターの診断書を持ち更生相談所に行くと、病院も、宿泊所も紹介せず、放り出すという許せないことをやった。

仲間はこれを4日に糾弾し、入院を獲得したが、更生相は反省の色がなく、責任のがればかりしている。

 その他に、仲間がひどい仕打ちをうけている。このくやしさを怒りにして、抗議の行動を行わなければならない。責任を取らさんとあかん。

 更生相談所にウラミのある仲間達よ!共に闘いに行こう!  (医療班)

*「おしらせばん」

 明日の映画・他
6日晩6じー「血の海」(4時間)朝鮮の世界的名画。
9日晩6じー西成市民館「3里塚第2砦の人々」

*「仲間へ!釜の釜係より」

 『2度食い』の問題について

 単に「2度食いはあかん」というのは間違っていると思う。

「くすぶる」仲間を一方的に罪人として決めつけているからだ。こう言う人は、冬の厳しい状態で多くの仲間が「くすぶる」事情を正しく理解していない。

 越冬の炊出しは、@なんで「くすぶる」仲間が出るのかを理解し、Aその・理由が敵どもにあるのを把み、敵どもとの闘いを広く組織することだろう。

 『「くすぶる」仲間が2度、3度と飯を食うことで、他の仲間が食えなくなるから、食券を配り、これを防ぐ』というのも間違っている。

これは1台のマイクロバスに多くの労働者が集まり、整理券をもらえない“アブレ”の仲間が敵どもに切りすてられ、殺られるのと同じことではないか。

 俺たちのプロレタリア思想=弱い仲間と大道で団結し、敵を粉砕し抜くという思想と、前の二つは関係がない。

炊事がしんどいからといって、手配師をまねたり、節操を曲げ、仲間の団結を破壊したり、デマを流す西成署の手口なんぞは取るまいぞ! (炊事班)

*「仲間の団結おおいに高まる!」

 仲間たちよ。今こそ1人さびしく路上で、ドヤで死んでいった仲間のいえなかった怨みを、アオカンしたしんどさを、必要がなくなるとボロクズのように切り捨て、「死ね」と言う資本家(ブタ)、ケタオチ業者、手配師=ハイエナに対して、無能な「腹黒田(クロダ)府政に対して仲間の力強い団結でもってやり返していこうではないか。

現在仲間の団結は非常に高まりつつある。

 しかしながらワシラはまだ敵と比べると弱い。

ワシら釜に何年いるかは、生まれはそれぞれ違うが同じマラ1本、ウデ1本で社会を支える最も労働者らしい労働者や。

頼るべきものは仲間以外にないし、ワシらの命は団結や。義理と人情もいいけれど、仲間のすばらしい団結にまさるものはない。仲間の苦しみはワシらの苦しみ。仲間がよくならなきゃワシらもよくならん。

ワシらこそ社会の主人公。明日の社会はワシらが築く。このうっとうしい社会はワシらの手で『コブチ』をしてやる。さらにハガネのような団結を打ち固め、ワシらが天下をとってやる。ワシらをコケにしている奴らにキッチリとオトシマエをつけてやる。オトシマエに時効はねェ。 <事務局(本部)>

*「長柄寮・豊崎東会館(天六)『追 いだし』を粉砕!」

 昨日、天六の長柄・豊崎の二つの寮で寮長が朝5時労働者をたたき起こして、「今日の朝で、出てもらう」と一方的に追い出しにかかった。しかし仲間は、長柄寮の一室に集まり寮長吉本を呼びつけ、「『最低10日まで』の確約をなぜ破ったのか」と追求した。

 役人は「市立労働会館に13〇名が移れるから、そちらへ行ってくれ」と答えたので、仲間の怒りが爆発し、闘いを展開し仲間の闘う固い決意と市の役人に宿泊所の継続を認めさせた。(詳しくは下)

*「天6の闘いの意義!」

 天六の仲間達は市の「労働会館(森之宮)への移居」方針に対し「わしらをここにおらせて、テント村の仲間や、アオカンしている仲間をそこへ泊まらせろ」「絶対にここを動かん」として闘い抜き、天六宿泊所を死守した。

仲間は自分らだけの利益を考えずに、テント村の仲間、アオカンしている仲間の事を考えて闘ったので勝利したんや。

 4日から出る金は、団結の力で取ったものだから、「仕事を出させる闘いに使い、飲み代に使わず、テント村の金のない仲間にカンパして1緒に大阪府労働部へ押しかける」ことが、みんなの中から出てきた。

 これから、無料宿泊所に行く仲間も、支給される金は今日まで宿泊所の仲間が闘いとったものや、と言う事をしっかり確認して、仕事を出さす闘いや、無料宿泊所をふやさせる闘いのために使おうやないか。

宿泊所の中でも仲間の代表をきちんとえらんで、わしらの闘う団結をつくっていこう。 (行政班)

*「仲間の命を守る闘いはーみんなの問題だ」

 まずはじめに、オレたち自身のたたかいである越冬闘争の役割の1つである「医療班」の問題をみんなの前に出して解決していく努力が欠けていたことは、まちがいだったし、反省して改めたいと思う。

*「病気・ケガと闘う主人公は誰か」

 釜の仲間をくいものにしている悪徳病院である阪和病院や大和中央病院の医者に典型的なように、オレたちのホントの苦しみを知らない者は仲間を治せないと思う。

これはみんなで解決していかなアカン問題やけど、肝硬変や「アルコール中毒」の治療法はまだないのだ。

大和中央みたいな所と同じように入口にガードマンが立っていて酒のニオイがしてたら放り出すようなフンイ気があったのでテントを作り直し入口を広げた。

まだまだ不十分な点あると思うが、仲間うちの批判で解決していきたい。 (医療班) 

毎晩7じ〜8じ、医療テントの前で会議

74年1月6日 第25号

*『団結は…「大砲」だ』

 おれたちはテント村をたてた時から今日までの間に実に多くのことを学び、得ることができた。にもかかわらず、テント村がゴタゴタしたりもしている。このことは本当の意味での団結ができていないということだろうと思う

 たとえばここ2、3日「医療班」のごたごたが問題になっているが、ちゃんと腹をわって話しあえばすぐにわかりあえることまでなかなかかたずかないでいる。

もしこんな状態がつづくとしたら、たとえ行政との闘いで多くの物が取れたとしても、1番大切なものを失ったままでテント村を閉じてしまうことになるだろう。

 みんな本当に疲れていると思う。テント村で疲れていない人間がいたらそいつはやるべきこともやらないできた人間にちがいない。疲れている時には失敗も起こしやすいし、何事も完全にやれる人間なんてどこにもいないはずだ。

 1人の仲間がこういうことを言った「だれかが失敗をおかした時にあげ足をとったり、なじったりする奴は本当の仲間やない。本当の仲間だったら、その失敗をカバーし、足らんところをおぎなってやろうとするはずや」

 そのとおりだと思う。そしてみんなでテント村をやって生活している以上、失敗も決してその本人だけの責任にしてしまうこともおかしな話だとも思う。

 :誰が喜ぶか

 問題が起こった時は次のことを絶対に忘れないでおこう。それは、おれたちの間でもモメ事が起こったら1体 だれが喜ぶか、ということだ。喜ぶやつらとは、おれたちが倒そうとしている敵のやつらだろう。

 ポリ公や役人共はおれたちの団結がくずれるのを待っている。それこそ手ぐすねひいてまっているはずだ。

 問題を正しく解決していくには、まず仲間を信じることが大事だ。信じあえないところに団結も何もない。もし 倒そうとしている敵を喜ばせるようなことを、おれたち自身でつくってしまったなら、これほどの失敗はない。

:仲間の失敗は仲間でカバーしよう!

*「おしらせばん」

 :今日の映画は何だ(よる6じ〜)

「血の海」朝鮮(チョソン)の世界的名画。(4時間)
9日夜6じー「3里塚第2砦の人々」(西成区民館で)

*「山谷はもえている」

 正月の2日、3日、4日と山谷の仲間は連続して、ポリ公どもと暴動でたたかっている。山谷の仲間のいうとおり、死火山じゃネエ。山の仲間に負けじ、と越冬を闘いぬこう!

*「病院で、仲間が殺られた」

 仲間がきのうの朝はやく、阪和病院で死んだ(いや、殺されたのだ)。

 おとといの夜、テント村から運ばれた「灰原さん」がその人だ。

つきそっていった仲間の話によると、ほったらかしにしたままなかなかみようとせん医者に対して抗議し、やっとみたという。おまけにみたあとまた少しほったらかしにしたという。殺られてたまるか。合掌!

*「スクラム組んで勝利を俺達の手に

 4日の大阪府に対する闘いに続き、昨日も、無料宿泊所で団結し闘った仲間を中心に、テント村の仲間250名による「仕事よこせ」の闘いがおこなわれた。

 4日のわしらの闘いに恐怖した労働部(行政)ーポリ公は、デモ行進に弾圧を加えてきたが、なかまは最後まで団結した力ではねのけ、大阪府労働部に対する闘いをくりひろげた。

つづいて、市立労働会館(森の宮)に結集した仲間は「無料宿泊所をふやし、寒空にふるえている仲間を泊まらせろ」と要求し、市の役人と団交をやろうとした。奴らはトンコし、労働会館での無料宿泊所の管理を放棄してしまった。

 わしらは「物もらい」や「こじき」と違う。だから金をくれとはいうてへんのや。仕事をよこせ!というてるんや。山谷では特別公共事業がでてるのに、なぜ釜ではださへんのや。

わしらの闘いは「仕事よこせ!(特別公共事業をよこせ)でなければ、無料宿泊所をふやし延長しろ」なんや。

 無料宿泊所の仲間は闘う規律をつくりだし、団結を強め、闘いをすすめよう。仲間の中から代表をえらぼう。代表者は皆の意見を聞き、まとめていこう。

支給される金は、飲み代に使わず、テント村やアオカンしている仲間を考え、勝ちとった金やから、闘いに使おうやないか、毎日、代表者の集いや部屋の話しあいで、いろんな問題・悩みを解決していこう。

飯場へ行ける、仕事のある仲間も、一番大事な時やから、皆のことを考え、闘ってきた団結をくずさないよう、残って闘おやないか。

酒飲んで団交やデモに出たらアカン。1人のメチャな行動が皆の利益・闘いを破壊するんや。

これまで勝ってきたのは、皆が団結し闘ってきたからや。バラバラにやったら勝てへんのや。金だけをもらいに来てそのまま帰る「こじき根性」のやつらがいる。そいつらはたたき出そう。

これから無料宿泊所に行く仲間は、今までの闘いに学んで、たたかいに参加していこうやないか。 (行政班)

*「村民」

 昨日の朝センターに行くと、例年どうりバスは1台もなく、テント村に帰った。

仲間のヒソヒソ話で、「今年は小正月まで無理とちがうか…。」

行政は釜の労働者に死ねと言うのか。いや言うだけでなく、殺すつもりなのだ。

オレたちは仕事をもぎとろうやないか。石にかじりついても行政に抗議しよう。でないと、死がみえている。

殺られる前に殺れ! 殺られたら、殺り返せ!

 涙を流し、肩をすぼめているのなら、敵の思うつぼだ。

マイクロバスが来た時、そのデズラが、足もとを見て、下まわっていたら、それだけやり返そう。

オレたちの敵は強そうに見えるが、もろいのだ。怖れることはない。団結していこう。次に訓練してやったろやないか。

*「ふざけるな更生相!」

 5日朝十時半より、俺たちは、更生相に押しかけた。

3日働く仲間が右足を折って入院して治したいと、入院手続きの相談に行った。その時、相談所の職員の冷たい高圧的な姿勢にイカリ、こんな相談所で相談してもしようない、と言いドヤへ帰った。

しかし、足を殺られているため、ドヤの階段をのぼりきれずに、階からおちて、よけい足を痛めてしまった。

 4日昼は、その仲間と一諸に再度更生相に行って抗議し、まずは入院し、俺たちは更生相の3日の日仲間に対してとった態度を糾弾したが、大阪府労働部と同じように、「のらりくらり」と自分勝手なイナオリをしていた。

だから昨日朝もう1度抗議に仲間とやられた仲間のウラミをはらそうと行った。しかし、昨日も職員は同じ態度、同じ事を言った。

 仲間のみんな、俺たちの仲間・殺られた仲間がよく使う更生相を、安心して使える所に変えていく闘いを開始しよう。

*「警備班からーテントの中でねる問題について」

 テントの中は、医療テントを除いて、第1回目のパトロールが終るまで空けてあります。

これは医療テントがいっぱいになっており、パトロールが終了するまで空けておかないと、病人を収容することができなくなるからです

 しんどいのをガマンしてパトロールに出かけ、倒れている仲間のために努力している仲間が多くいる。

だから、この人たちがバカをみないように、パトロールが終わるまでテントを空けておき、終了後、疲れた人(老人・病気がちな人)から順に体を休められるようにしたいと考えています。・・

 :疲れた仲間のために、テントを空けよう!

74年1月7日 第26日 

 (以下欠落)

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