第4章「野宿者」のイメージを支えるもの

 

〜「自由」で不自由な「野宿者」〜

 一般に広まっているイメージでは、「野宿者はきちっとした人間らしい生活はできない」と言われているようである。たとえば74才の男性が、「野宿者の中には働けそうな人も沢山居る様な気がします。あの人達は規則正しい生活を基本としないからあの様になった様な気がします」と市民意識調査の自由回答欄に書いている。たしかに普段見かける「野宿者」は私たちが見るときはいつも道ばたで座り込んでいたり、公園でお酒を飲んでいるかもしれない。けれども聞き取り調査によれば「野宿者」の半数以上が何らかの収入を得る仕事に就いているし、収入がないとしても、一人一人がある一定の時間に起き、食物を手に入れるために、同じ時間に同じ場所に行かなければならない。そうしなければ生きていけないのである。

 また「野宿者は自由だ」というイメージは野宿している人たち自身の中にも深く根付いている。たとえばBさんは、「お金がないから自由ではないけれど、好きなときに本が読めて、好きなときに寝ることができる。そういう意味では自由奔放である」と言っている。また、Cさんは「生活はそれなりに楽しかったよ。自分の部屋が欲しいとかいう気持ちはその時にはなかった。誰にも束縛されないことがうれしかった。世の中にはこんな生活もあるんやなあって。こんな生活もいいもんやなあって」と述べている。しかしBさんは野宿生活は自由だからいつまでも続けたいとは言っていない。彼は望まなくして現在の状況に至り、「何とかして野宿をやめたい」と何度も繰り返し述べている。またCさんも「人間お金がないとな、できることは限られてるから。楽しみとか趣味とかとは無縁の世界やな。毎日同じことしかできん」と述べている。

 「野宿者は自由である」という言葉は、「一般市民」の側からも「野宿者」の側からも発せられる。「市民」は、彼らを「自分の自由な意志で野宿をしている」ととらえてこのように言う。そしてこの考え方は、「野宿者」が野宿をする以前「市民」であった時に、「野宿者」自身の中にも内面化されている。そして自分がやむを得ず野宿に追いやられた時に、自分の現状を何とか少しでも肯定しようとする論拠になっているのだ。

 一見、「野宿者」には自分の生活を好きなように組み立てられる自由があるように見えるかもしれない。しかし「野宿者」の多くは、野宿を好んでしているのでもなく、また生活を自由に選択できる余地などほとんどないのである。それにもかかわらず彼らが自分自身を「自由である」と言うのは、何とかして自分の生活に良い意味を見出そうとする彼らの姿勢のあらわれだと思う。そして野宿している当人達が「自由だ」と発言することにより、「野宿者は自由だ」という言説はますます広まるのである。


〜誰が「野宿者」なのか〜
 

 「野宿者がきちっとした人間らしい生活」をしていないというのは「野宿者」のある一面しか見ていないと言える。たとえば「現役労働型」であれば、毎朝仕事を探しに行くという日課がある。しかし、もしそこで仕事に就けなければ、一日を何となく過ごすことになる人もいる。その時の姿だけを見れば、「昼間からぶらぶらして」と言われることになるだろう。「炊き出し型」の人は、自分の力で働けなくなった人たちである。生きるためには炊き出しに並ぶしかない。なぜ、働き詰めで体をこわす人が多くいるのか、労災はないのか、年金はないのかと思われるかもしれない。労災がちゃんと支払われず、労働争議に持ち込まなければならないことが、今でもかなりあるようだ。労災どころか、わずか10年前には暴力飯場や賃金不払いが珍しいことではなかったそうだ。現在では労働組合や労働者達の努力により、就労状況は昔よりは良くなったといえる。しかし、まだまだ問題は残っている。

 「廃品回収型」の人の一部が一日中働いている姿は、市民意識調査でも認められていたところである。しかし、夜中にダンボールを集めて、昼間は寝ている人などもいたので、彼らの昼間寝ている姿だけを見れば、「バタヤと乞食は3日やったらやめられない」などと言われるのかもしれない。

 「定住型」の人は、とにかく「家」の前で座っている、あるいは、「家」の前でお酒を飲んでいる姿ばかりが目につき、もっとも誤解されやすいかもしれない。しかし、彼らは鍵のない家に住んでいるようなもので、出かけようと思っても家から離れられないというのが現実である。そして、そのような状況でも半数の人が廃品回収をしていた。また、仕事ができなくなった人たちも、自炊のための材料を集めに行くことを日課としていた。「人間、生きるためにはなんらかの糧を得なければならない。バタヤ稼業は、立派な労働である。拾い食いとて同じである。ただこれらの人々の場合、労働と生活が直接に一体化されている」(1)。これは青木秀夫の言葉である。私も全くその通りだと思う。生きていくために行うすべての行動を労働だと考えれば、拾い食いだけでなく、炊き出しに並ぶことも労働であろう。そういう意味で、「収入がない」ということは、ただ単にお金が入ってこないと言うだけで、労働を一切していないというのではないのである。

 聞き取り調査では、釜ヶ崎で働いたことがある人は、191(82%)である。199412月に行われた、田巻松雄による名古屋笹島での野宿者からの聞き取り調査によれば、64人中57(89%)が日雇いで働いた経験があった(2)。このように「野宿者」の約8割強が、寄せ場で職をさがす日雇い労働者であるという事実は一般にはあまり知られていない。建設労働は体を酷使するので、1日置きに仕事に行くことが自分をすり減らさない必要条件であるし、50才を過ぎればもう仕事に行けないということになる。こうして、路上で体を休める姿を私たちは見ているのだ。「野宿者」は働いている人が休んでいる姿なのだから、あるいは昔働いていた人が働けなくなった姿なのだから、その姿を見て「野宿者は怠け者だ」というのは誤ったことであろう。家のある者は休みたいときには家の中で休む、しかし家がなければ路上や公園で休むことになるだろう。そして、その姿が「野宿者」として認識される。仕事に行ったら、そこでは労働者になるのだ。たとえば、工事現場で事故などが起こり、前日まで野宿していた人がもしそこで亡くなれば、ニュースでは「作業員」と呼ばれるだけで、たとえ彼が前日まで野宿していたとしても「野宿者」と呼ばれるわけはないだろう。これは東京都企画審議室が「都市生活に関する調査」にもとづいて出した『新たな都市問題と対応の方向一「路上生活」一をめぐって』の中でも指摘されている。「そもそも、路上で寝ていた人が路上生活者であるかどうか、外見だけでは直ちに判断を下せない。その人は、一時的に路上で寝泊まりしていただけで、明日になれば仕事を見つけて簡易宿所に行くかもしれないし、帰るべき家庭のある人かもしれない。路上生活者とひと口にいっても、その境界はかなりあいまいである(3)


〜イメージを支える「まなざし」〜
 

 市民意識調査の自由回答欄に「日本では職にあぶれることなどない」と書いている人が多かった。日本ではいくらでも求人があるのだから、建設日雇い労働という、季節によって仕事の量が変動し体力を消費する仕事でなく、もっと他の仕事につけばよいと思うかもしれない。たしかに学生アルバイトや主婦のパートなどは今の日本では簡単に見つかるのであろう。しかし、都市の職業選択の自由はある一定のところで大きな壁があるのだ。「いったん住所を失うと、住所を証明することができないうえ、社会的なつながりの薄さから身元の保証という点でも不利となり、新たに住居を賃借しようとしても嫌がられたり、常用雇用されにくくなるなど、社会慣行や社会の仕組みといった面からも、選択肢が限定されがちになる(4)

 見田宗介はもっとはっきりと「履歴書の要る職業と履歴書の要らない職業(5)」という言葉をもちいている。履歴書を何のこだわりもなく書ける人間にとっては見えにくいが、都市の職業選択には巨大な壁が存在する。履歴書の要らない職業とは建設日雇い労働やパチンコ屋の従業員、ガードマンなどである。一度こちらの職業に就くと、なかなか壁を越えて履歴書の要る職業には就けなくなる、そのような階級構造が日本にも存在しているのだ。

 このように「野宿者」のイメージを支えているものは、「日本では職にあぶれることなどない」とか「働かざる者食うぺからず」とか「家族をもってこそ一人前だ」のような現代の日本人の多くがもっている考えに深く根ざした「まなざし」である。見田宗介は「都市のまなざし」とは「ある表相性において、一人の人間の総体を規定し、予科するまなざしである(6)」としている。「具象的な表相性とは一般に、服装、容姿、持ち物などであり、抽象的な表相性とは一般に、出生、学歴、肩書きなどである(7)

 私は、学生が学生であることや銀行員が銀行員であることのような意味で、誰がどう見ても「野宿者」である「野宿者」というのは存在しないと思う。誰がどこまでが「野宿者」であるかはむつかしい。一見、他の「野宿者」と変わらない人でも、話しかけてみると「帰る家はあるが、パチンコですってんてんになって今日はここに寝る」と話してくれたりということもある。彼は彼の事情をよく知らない人が路上で寝ている彼の姿を見たときにだけ「野宿者になる」のではないだろうか。そして、どの人の場合でも多かれ少なかれ、「野宿者になる」というのはそのようなことであると思う。外で寝ているAさん・Bさんを「野宿者」にしてしまうのは、周囲の「まなざし」と、周囲の「まなざし」を内面化してしまった、本人自身の気持ちなのではないだろうか。