株式会社テレビ東京 「人権・放送倫理委員会」委員長
倉益琢眞殿
「浅草橋ヤング洋品店」プロデューサー
伊藤成人殿

「ヒッピーはヤッピーになれるか」を考える会

相互検証を終えるにあたって

「浅草橋ヤング洋品店」中のコーナー「ヒッピーはヤッピーになれるか」について、当会より「野宿者への差別がある」と指摘したところ、3度にわたって来阪され、誠実に検証作業に取り組まれた上、見解をまとめられた。

相互検証を終えるにあたって、貴社がまとめられた見解が、当会からの強要によってなりたったものではなく、討論の中で、相互に認めあった内容に基づいてまとめられたものであることを、経過を振り返ることによって確認しておきたいと思う。そして、差別の無い社会を目指して、努力を続けられることを望みたい。

「まとめ」に至るまでの経過

1、1993年9月、当会会員より、「私たちが見た範囲でも野宿者を差別しているものと言わざるをえないが、更に検討をするために同コーナー放映分全てのビデオを提供してもらいたい」と申し出たところ、「特定の少人数にテレビ大阪で見てもらい、話をしたい」との対応があった。少人数で話し合う内容ではないので、全てのビデオを点検することは一時棚上げし、まず、相互理解のための場への出席を依頼。

2、10月4日夜、情報量の隔たりを原因とする対話の不成立を避けるための説明。旅路の里。

第1回事実確認会の前夜、テレビ東京倉益・伊藤両氏とテレビ大阪新美編成部長、当会会員が会合を持ち、大阪における野宿者の現状を説明すると共に、会合後、「あいりん総合センター」周辺の野宿者や天王寺公園周辺で、放映されたような「仮設住居」で野宿する労働者の状況を実際に肌で感じてもらうために案内する。 同夜、質問書を手渡す。

3、10月5日午後2時〜4時、事実確認会。西成市民館。

テレビ東京から倉益・伊藤両氏、テレビ大阪から新美編成部長が出席。当会の呼び掛けで参加した釜ヶ崎の日雇労働者、野宿を余儀なくされている労働者を中心として百名以上が参加。

当会で録画していたものを参加者全員で見た後、テレビ東京側から、同コーナーの企画意図や見解が伝えられた。

「前夜の会合・体験から野宿を余儀なくされている人々について認識不足であったことに気がついた。

企画意図としては、あらゆる人々を取り上げることにしていたので、野宿者を取り上げないことが差別ではないかと考えた。

また、若い女性の視聴者が多いのでその人たちにある野宿者との隔たりを少しでも無くすことに貢献できるのでは、とも考えた。

内部で異論もあったが、多数の意見ではなかった。今、振り返って、ご指摘の点もあるかと思うが、企画意図に添った絵もあったと思う。」そして、「ヒッピー」のイメージについては、管理社会に抗議して自由に生きる人たちのことだと局側は説明。

それに対して参加者から、自信のある場面もあるというなら、ビデオを提供して説得材料とすべきだ、という意見、
「ヒッピー」のイメージが違う。世間一般のイメージは、「落伍者」というものである。「ヤッピー」はアメリカのエリート・サラリーマンのことで、「ヒッピー」と「ヤッピー」を対比させる、「〜になれるか」と問うことは、「ヒッピー」(野宿者)を殊更に「落伍者」として印象付けるものである、などの指摘があった。

対話を整理し、深めるためにテレビ東京側が見解を文章化し、2回目の確認会を持つこととなる。

4、10月13日夜、テレビ東京・テレビ大阪と当会有志の意見交流会。旅路の里。

10月4日に手渡した質問書に添った見解表明の文書が提出されたが、質問書にこだわることなく、確認会での論議を踏まえたものにしてもらうよう要望。確認会での論議を双方でおさらいした上で、

(イ)企画段階での少数意見が取り上げられなかったこと、

(ロ)何が差別であったと反省しているのか、2点について具体的に書くこと。

(ハ)「笑いの現場」で起きたことであることを踏まえて書くこと。

(ニ)「ヒッピはヤッピーになれるか」というタイトルへの参加者からの指摘に答えること。

(ホ)ビデオ提供について更に検討すること。それらの点が合意された。 同日、野宿者差別についての文章を参考資料として手渡す。

5、10月26日午後2時〜5時、喜望の家。5時〜6時、旅路の里。第2回確認会

[「ヒッピー」は「ヤッピー」になれるのか」コーナー放送までの経緯と反省]が提出され、50名の参加者と共に検討。

同コーナーが「予定通り終了」と書かれていることから、なぜ中止できなかったのか、「人権・放送倫理委員会」の機能を含めて疑問が続出した。

「ヒッピー」概念の誤りとするのにも、コーナーの名前そのものに差別性が現れていると指摘したのだとの指摘があった。

また、文章とは別に、発言の中で「認識不足」と多々述べられたのに対し、「寿町野宿者襲撃事件」が広く伝えられたこともあり、年齢・立場からして「認識不足」と言えるのか、基本的認識に誤りがあったのではないか、という問いかけもでた。

それらに局側が答える中で、制作の側に野宿者に対する差別意識があった、世間一般に共有されている差別意識が前提でなりたった笑いの企画であったと自ら気付かれ、その旨、発言された。

同日、討議内容を踏まえて「経緯と反省」を書き換え、社として再回答すること、ナレーション付きテロップを流すとの表明が局側からなされたが、「経緯と反省」について合意した後に流すこと、などが確認された。

6、『週刊新潮』11月4日号の、<超過激「お笑い番組」を襲った「差別糾弾」>記事中で、

テレビ東京木村広報室長が、当会との交渉を「なかなか納得頂けないようですね」と表現していることについて、事実関係について問い合わせたところ、

「経過途中であり、終わるまではコメントできない、と伝えたのに、あの記事の発言となっているので、驚いている。週刊新潮には、抗議と訂正の申し入れをする。」とのことであった。

7、「テロップ」文の確認、第2回確認会を踏まえての文章訂正は、郵便・電話連絡でおこなった。 訂正は、論議内容を具体的に挿入するというものであった。

8、[経緯と反省]の中で書かれている「今後の社内での取り組み」については、誠意ある対応と十分な反省点の確認がなされたことから、自主性に任せることとし論議の対象とはしなかった。

ただし、研修内容については、事後報告していただくことを要望し、確認した。

また、ビデオの提出の件は、コーナーそのものについて差別性を認められたことから、当会が指摘した場面以外についての検討の必要が減少したものと考えられるので、会としては提出の要望を今後しないこととする。

(テレビで流された映像の差別性を巡る論議は、流された映像の相互確認なくしては、一方的な「糾弾」にならざるをえなくなる。それでは、相互理解は成り立ち難い。

差別であるかどうかの点検は、差別を被る側の人権を守るためのものであるが、同時に、指摘を受ける側が、予断や根拠のないことで「糾弾」されて人権が侵害されることがないように配慮されなければならない。

そのためにも点検の対象となった映像は論議の場に提出されるべきである。

今回、もし連続企画でなく、誰もビデオをとっていなかったら、少数による話し合いに留まり、多くの差別を受ける人とは無関係に終わってしまったかも知れない。

幸いにして今回は入手したビデオを確認会で写し、その範囲内の論議で点検が合意に達したが、本来的には、放映分全てを写し、論議をすべきであった。

今回論議の対象とならなかった部分については、論議を踏まえてテレビ東京内部で自主的に点検がおこなわれるものと信じているが、やはり、当事者に具体的に指摘を受けた方が、制作する側の利益にもなったのではないか。

また、映像を流れ去ってしまうものとして扱うのではなく、何度もの検討に対応する映像という考えに立たない限り、「放送倫理」の向上にも限界があるのではなかろうか。

以上のごとく、差別問題の点検に関しては、映像の提供がなされるべきであるという考えを変えたわけではないので、念のため申し添えます。)

以上が、簡単な経過報告である。誤りがあれば訂正を申し入れていただきたい。 終わりに、誤りは誤りとして認められ、その誤りを訂正していこうと前向きに取り組もうとされている姿勢に敬意を表したいと考えます。

1993年12月14日報告集会を終えて以上

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