確認糾弾会随想
釜ヶ崎差別と闘う連絡会議 代表幹事 西岡 智
釜ヶ崎差別と闘う連絡会議の代表の一人として、2回の確認糾弾会に出席した。
テレビ東京側は、最初、差別作品ではないからに始まって、次に底辺労働者(野宿労働者)に対する「認識不足」でお茶をにごそうとした。 参加した日雇労働者が、何故「野宿をせざるを得ないのか」と自己の生育歴(いきざま)をかけた切々の訴えや、激しい糾弾に会い、基本姿勢、基本認識の誤りを認め、本番組がまさに野宿労働者に対する差別と偏見を助長するものであることを認めた。
そして12月12日夜、番組の中にてテロップをナレーション付きで流し、謝罪した。
このことは、差別確認、糾弾の成果として評価できる。しかし、差別確認糾弾には、勝者も敗者もない。本質は、差別を犯した側をも、解放に向けて自覚させる運動なのである。
テレビ東京は、マス・メディアとして、特に娯楽として笑いを演出する時に、人間の尊厳を犯したり、「弱者」の人権を無視し傷つけることが、最も指弾される行為であることを認めた。そして今後、社内啓発に全力投入することを確約すると共に、差別解消に貢献する企画を積極的に立て、制作・放映することを約束した。
差別確認・糾弾にはまた別の、重要な側面がある。
一つは、差別確認糾弾に参加する中で、被差別の側が自己の置かれている社会的立場を自覚することである。今回の場合は、三K(キツイ・汚い・危険)労働の中で、日雇い底辺労働者こそが、日本の産業労働の基本であることの誇り、自覚を促す機会となることである。
いま一つは、先に触れたように、差別したテレビ側が指摘を受け自己点検することで、社会の公器としての自覚を高め、笑いを侮辱の嘲笑でなく、人間の尊厳をうたう笑いの文化芸術作品としてを制作・放映する契機になることである。
差別確認糾弾会の構成は、あくまでも当事者中心主義(この場合は日雇労働者)で、大衆参加のものでなければならないが、双方のリーダーの正しいリーダーシツプが強く要請される。
また、ヤッツケ糾弾ではなく、差別側の人権にも十分配慮されたものでなければならない。
糾弾は、最大の教育の場である。鋭く激しいものがあっても、その底に常に人間愛がなければならない。それは、教師と生徒の関係とも言え、生徒(差別側)がわからない時は、糾弾側(被差別)にも責任があるのであり、差別事象の本質を明らかに示し、共に考え、共に学び、共に育つ、差別者を解放者にするものでなければならない。
最後に、直接には関係ないが、テレビ東京差別確認糾弾会に参加している中で考えたことを述べたい。それは、今の状況からして釜ヶ崎解放運動の発想の転換が求められているのではないか、ということである。
簡単に言えば、釜ヶ崎労働者を中心としながらも、同時に多くの市民も参加した釜ヶ崎解放の総合計画が樹立されることの必要についてである。
第一に、労働、仕事保障の問題がある。構造不況の中で、日本一の底辺日雇労働者の街・釜ヶ崎に、失業の嵐が吹きすさんでいる。このままでは、この冬、野宿労働者の行路死亡続出は必至である。大阪府・市の緊急雇用対策(特に高齢者)が望まれる。
同時に、運動の側としても、殺人行政糾弾と共に、日雇労働者の自主管理・連帯を強め仕事を創出することにも目配りすべきではないか。例えば、生協運動と連動した政策の追求である。
第二に、大阪市が釜ヶ崎対策の一つとして実施しようとしている、福祉法人大阪自彊館拡張計画に対する政策である。
自彊館の拡張計画に対しては、周辺住民が福祉に名を借りた生活環境破壊だとして、地元反対同盟結成の動きにみられるように「福祉か生活環境保護か」の対立場面を生じている。
釜ヶ崎の労働者が地元にカネをおとしているのに、何故ヤッカイ者扱いされなければならないのか。この背景には、釜ヶ崎日雇労働者に対する周辺住民の根強い差別意識が存在していることは事実である。
しかし、私は、一方的に住民側を責める気になれない。
むしろ、私たちが主張した「釜ヶ崎の副読本をつくり、学校教育、社会教育での啓発活動」を行政が積極的に取り上げなかったこと、釜ヶ崎の労働者を犯罪者視する監視カメラは16 基設置しているが、共同便所やごみ箱は少なく「臭いモノにフタ」式の府・市行政当局の基本姿勢こそ糾されるべきだと考える。
なによりも、周辺住民に対する啓発活動が重要で、怠慢差別行政と言わざるをえない。大阪市は、同和行政の長い蓄積を、何故、釜ヶ崎でもっと積極的に生かそうとしないのか。
それとは別に、自彊館の拡大と運営のあり方についても疑問がある。
私も一度見学し、理事長を先頭に全従業員が地域の福祉に尽力されていることに敬意を表したが、運営については、町会代表や日雇労働者代表(当事者)、そして連帯しているキリスト者、学識者、議会代表、行政代表を加え、開かれた自彊館にしてはいかがであろうか。
このままでは、骨折り損のクタビレ儲け、即ち傘屋の番頭になる危険性を感じるし、「いたわる福祉」「強いる福祉」になる危険を内包していると考える。
拡大はよいが、その内容が問われているのではないか。禍転じて福にする智恵を、今こそ考えるべきだ。
最後に、最大の啓発の秘密兵器を提出する。それは。監視カメラを廃止して、三角公園か四角公園に温泉を掘り、温泉総合会館を建設すること。
盆、正月には知事・市長が日雇労働者と共に温浴、背中を流し合うところテレビで放映すれば、人権の大阪として国際的にも評価されることにもなろう。温泉は必ず湧出する(部落解放同盟矢田支部の体験から)。
夢を正夢にするために、お互いに智恵を出し合い、共通の広場をつくろう。
「情報の流れ」の大切さ
釜ヶ崎キリスト教協友会 大谷幹夫
以前の事になりますが、ホームレスの状況を知るために、非常に短期間ではありますがアメリカに居た時期があります。
運が良い事にホームレス・シェルターでも働く機会を与えられ、そこでも又いろいろな体験を積み重ねる事ができました。
このシェルターで働いていた時の事ですが、いっしょに働いていたアメリカ人のスタッフに、ホームレス問題の原因は何かと尋ねた事があります。
その時の彼の答えは、即座に「それはテレビだ。」といったものでした。
僕の貧しい英語力により会話はそこで途切れてしまい、彼の返答の真意は、推測するしかないわけで すが、少なくともテレビを通して毎日のように流れる情報(その情報のほとんどは、貧しいという事は悪であり、さげすむものであるといったものであるわけですが……)が、結果的にホームレスの人々を生み出しているといった意味合いは含まれていたと思います。
いわゆる映像文化全盛の時代にあって、私たちはともすれば、テレビなどで流される情報については、全幅の信頼を寄せる傾向にあります。しかしながら、実際の所、流される情報の多くは、テレビ局側の意図によって編集し直されたものであるという事は案外、見過ごされていると思います。
今回、テレビ東京が制作した「浅草橋ヤング洋品店」の中の「ヒツピーはヤッピーになれるのか」というコーナーは、明らかに野宿者差別を助長するものでした。
釜ヶ崎で活動している諸団体や労働者の再三の抗議により、テレビ局側も、自らの非を認め、謝罪したわけですが、この番組を通して、多くの人が植えつけられた日雇労働者への差別意識に対する闘いは、また新たに取り組む必要があります。
この事は、ただ単に、マスコミへの抗議行動を行っていくという事だけですまされる問題ではありません。むしろ、マスコミに釜ヶ崎の情報を流すのを任せきるのではなく、釜ヶ崎で生活している私たち一人一人の側から、釜ヶ崎の情報なり、釜ヶ崎が抱えている問題を多くの人々に流し、訴えていく事が今後においてひつような事だと思います。
差別糾弾の闘いを終えるにあたって
高田民彦
テレビのチャンネルを回していると突然、野宿する人が登場した。ドキュメンタリーでもなさそうなのでしばらく見ていると、タレントが冗談をまじえながら話かけていた。そのうちにその人が散髪をされ、入浴の後、流行のスーツに着替えさせられ、その「変身」ぶりが、スタジオの客の笑いと感嘆の声を上げさせ、万歳三唱でそのコーナーは終わった。
番組はテレビ東京制作(関西での放映はテレビ大阪)「浅草橋ヤング洋品店」の「ヒッピーはヤッピーになれるか」というものだった。
まず、最初に感じたのは、視聴率を稼ぐことがテレビ局の至上命題だとしても、生身の野宿者を登場させからかいと嘲笑の対象としたものを放送するということに驚いたのと同時に、こんなものを社会にタレ流すことに対して強い憤りを感じた。
この不況下、全国の至る所に野宿を余儀なくされている人たちが急増している。この人たちに対する社会の目は、冷たい。落伍者として、鎮め石としてあつかわれている。
マスコミが報道する際も、市民社会の対極としての興味本位の内容のものがほとんどである。しかし、今回ほど露骨に、しかも徹頭徹尾差別的な意図でもって企画されたものは、私の知る限りでは今までなかったように思う。
それゆえ、制作局のテレビ東京、関西の放映局テレビ大阪とは、きちんとした形でこの問題について話し合いをする必要性を感じた。
まず放映局のテレビ大阪に抗議電話を入れ、問題点とこちらの要望を伝えた。しかし、制作局のテレビ東京は、テレビ大阪を通じて「差別的な意図はなく何ら問題はない」との答えを出してきた。
これでは話にならないので、釜ヶ崎の地で労働者とともにテレビ局側との話し合いの場を設定し、2回に渡る確認会を行った。
この確認会で明らかになったことは、テレビ局が、最初に言ったこととは違い、最初から差別的な意識を持った上で番組のコーナーを企画したこと、それが、どれほど野宿を余儀なくされている人たちを傷つけるものであったかを認識してもらうことができたことである。
ここまでの成果を得るまでには、釜ヶ崎で活動する諸団体・個人、そして何よりも多くの労働者(とりわけ野宿をしている人たち)の怒りと糾弾の声があがったからだと思う。
差別の問題を考える時、我々には、ていねいな相互の検証と変革が求められる。
今回はテレビ東京・テレビ大阪に、我々との話し合いの中で自らの非を認めさせ、番組の中で謝罪をさせたことの意義は大きい。
今後は野宿者問題(釜ヶ崎ー山谷をはじめとする寄せ場の問題を含む)に、公正な取り組みをしてもらうことを期待したい。
テレビをはじめとするマスコミの社会に対する影響力は計りしれないものがある。労働者の、民衆の利益になる正義の報道をしてほしいとつくづく感じた。