大阪市立更生相談所の概要

◇あいりんの概要◇

西成区史などによると、あいりんはその昔「難波の名呉の浜」とうたわれた漁村であった。現在の紀州街道は、浜街道とも呼ぱれ、その街道に沿って釜ケ崎をはじめとする小集落が点在していた。

現在あいりんと呼んでいる地域は、旧釜ケ崎を中心として西成区の北東部、浪速、天王寺、阿倍野3区に接する11か町、約0.62平方キロの地域で、人口は、その実数は定かでないが、未登録者を含めて約3万人と推計され、うち約2方1千人が日雇労働者で、わが国随一の日雇労働市場を形成している。

地域環境は、JR(環状線、大和路線)、私鉄南海電鉄(本線、高野線)、阪堺線及ぴ市営地下鉄(御堂筋線、堺筋線)などの鉄道網のほか、市道尼崎・平野線、堺筋線(新紀州街道)などの主要幹線道路が交差する交通至便の地であり、また通天閣で有名な新世界に隣接している。

◇更生相談所の沿革◇

当相談所は、旧「大阪市立愛隣会館」(現西成区太子1丁目)と旧「大阪市立中央更生相談所」(現北区長柄西1丁目)を統合して、あらたに「大阪市立更生相談所」として昭和46年8月に発足した。

旧「大阪市立愛隣会館」は、昭和36年8月に起こったあいりん労働者の騷動(いわゆる「釜ケ崎暴動」事件)を契機として、従来の地域福祉対策をきめ細かくおこなうために、昭和37年8月8日に設置されたもので、各種相談事業、貯蓄あっせん事業、生活一時援護事業などをおこない、あいりん小中学校、保育所、西成保健所分室なども併設し、地域住民の福祉の向上に寄与してきた。

旧「大阪市立中央更生相談所」の起源は、戦時中の昭和20年3月、大阪駅構内に「大阪市立戦時相談所」を設けて、主として疎開先の紹介、罹災者の生活相談などをおこなったことに始まる。

その後昭和20年8月終戦とともに「大阪市立市民案内所」と改称し、混乱した終戦直後の市民生活の相談に貢献した。

そして、昭和21年10月1日旧生活保護法の施行に伴い、同年11月大阪駅束側高架下に 「大阪市立梅田厚生館」を開設した。

同館は、直接館を訪れる人、あるいは他の各種機関を通じて送致されてくる人など、いわゆる住居のない要保護者の一時入所措置をおこなうとともに、こうした人々の保護に関する中枢機関としてその機能を果たしてきた。

しかし、大都市への人口集中、社会経済情勢等の変遷により住居のない要保護者はあとをたたず、施設の狭小と老朽化もあり、昭和41年3月に旧大淀区長柄中通り2丁目(現北区長柄西1丁日)に移転した。

この際に施設の再編成をおこない、梅田厚生館・更生施設豊崎寮・医療保護施設弘済院長柄分院を統廃合して、被保護者の心理職能判定や医療判定などの機能をもつ一時保護所を併設した「大阪市立中央更生相談所」を設置し、保護の実施期間として市内全体の住居のない要保護者の福祉に関する措置をおこなうこととした。

一方、あいりん対策においては、騒動を契機として労働・医療・福祉・治安の充実を図るため、昭和41年6月に大阪府・大阪府警察本部・本市による「三者協議会」を設置し、各役割分担のもとにその対策をたてた。

その後、本市はあいりん対策を充実させるため、「大阪市立愛隣会館」「大阪市立中央更生相談所」を統合、現在の「大阪市立更生相談所」として昭和46年8月にスタートした。

この「大阪市立更生相談所」は、あいりんにおける住居のない要保護者の福祉に関する措置をおこなうとともに、地域住民の生活の向上、環境の整備・改善を図ることとしており、一時保護機能をそのまま残し、生活保護法に基づく更生施設「大阪市立更生相談所一時保護所」を併設し、現在に至っている。

また、この問昭和48年7月には、当相談所内に生活相談室を設置し、地区労働者のための日常・一般生活相談・児童相談などの各種相談に応じている。

さらに、隣保事業としての西成市民館、環境改善施設である馬淵生活館を所管している。

◇事業の概要◇

当相談所は、大阪市立更生相談所条例により「あいりん住民の福祉の向上を図るため、労働者を対象とした各種の相談・保護事業と、環境改善の事業を行う機関」であると定めている。

◇各種相談・保護事業◇

@保護の実施機関としての更生相談所

大阪市西成区では、生活保護法や老人福祉法など福祉法令に基づく措置に関する事務は、基本的には西成区福祉事務所がおこなっているが、「あいりんで住居がないか、また明らかでない単身の要保護者」に対する施設入所や入院などの相談や保護の決定・実施のために「大阪市立更生相談所」が設置されている。

こうした生活保護の実施機関は他都市に例をみない。 これは、戦後の混乱期に住居のない者が激増した際、「救護法」「生活困窮者緊急援護要網」に基づき保護してきたものを、生活保護法施行後も引き続き行い、今日に至っているものである。

要保護者の保護の取扱いは、面接により事情を聞き、身体上又は精神上保護の必要があると認められた場合は、医師の入院要否所見に基づいて、施設入所や入院などの手続きをおこなっている。

入院が必要な者については、医療保護施設や指定医療機関への入院手続きをし、通院が必要な要保護者等には、必要に応じて、一時保護所への入所手続きをおこなっている。

その際、結核予防法・精神保健法・性病予防法等に該当する要保護者については、当相談所併設の西成保健所分室と緊密な連携のもとに各々の法律を適用している。

A更生相談所一時保護所

一時保護所は、生活保護法第38条による更生施設であるが、更生相談所の付属施設として緊急保護をおこなっている。

一時保護所は、一時保護と判定の機能をもっている。

これは、保護の実施機関である更生相談所で保護を決定された被保護者を即日受け入れ、入所期間中に心理学的判定・医学的判定・面接相談・助言・生活指導をおこなうものである。その結果、引き続き療養が必要な者については、生活保護施設への入所や入院などの手続きをおこなっている。

心理学的判定は、臨床像を知能検査・性格検査から心理診断票に所見をまとめ、指導方針を決定し、一時保護所や送致先施設での生活指導に資している。

医学的判定は、適正な保護をおこなうために欠くことのできない業務であり、健康診断を行い、疾病のある者についてはその疾病名・症状を記録して治療指針に役立てている。

生活処遇では、早期の自立を目標として教養・娯楽・日用品などきめ細かな生活指導をおこなった上、面接を実施し、身上調書,生活指導面接記録を作成し、送致先施設での円滑な指導に役立つよう努めている 食事は、栄養・運動・休養を三本柱とした日常生活を送るうえで重要な一面をもち内容には嗜好を配慮しつつ、厚生省による予防医学の趣旨に基づき、必要な者には特別食や栄養指導をおこない、個々人に対する栄養所要量を満たすように努めている。

入所者のほとんどは疾病があり、附設の診療所又は近隣の医療機関で治療している。また、判定・面接を終えた入所者については、送致決定会議で今後の処遇方針を決定している。

B更生相談所附設一時保護所診療所

当診療所は、医療法に基づく診療所で、生活保護法による指定医療機関でもあり、一時保護所や近隣の保護施設の在所者の診療にあたっている。

C西成保健所分室

当分室では、地域住民の健康保持・増進を図るため、更生相談所と密接な連携のもと結核予防法・精神保健福祉法等にもとづき、結核専門医・精神科医による診察(月〜金)をおこなっている。

また、保健婦による療養相談も実施している。

さらに、昭和58年4月からエックス線撮影装置が設置され、結核患者の管理検診をおこなっている。

また、平成2年5月からは、結核対策の充実をいっそう図るため、それまで毎月1回おこなってきた検診車による結核検診(あいりん総合センター前)のほかに、当分室においても結核検診を週5日(月〜金)おこなっている。

D生活相談室(法外援護)

相談者は、必ずしも法の措置を必要とするとは限らず、当座の一時的な援護あるいは適切な助言を要する場合もある。むしろ地域の実状からして、このような相談がきわめて多いことから専任の生活相談員がそれぞれの相談に応じ,適切な助言指導をおこなっている。

その内容は、病気やケガで一時的に生活困難になった場合の応急援護の相談をはじめとする各種相談や、住民登録の所在に関する調査・届出に至るまで幅広いものとなっている。

E児童相談

大阪市中央児童相談所から、児童福祉司が毎週金曜日に出張し、午前中は当所内で各種児童相談を受け、午後は家庭訪問等を行い、要養護児童・非行児童等の相談に当たっている。

なお、この地域の関係機関と連携を取りながら必要な緊急保護や未入籍児童の就籍援助などを行っている。

児童相談所相談件数(平成7年度)

◇環境改善事業◇

@隣保事業

昭和35年7月に地域の福祉の増進を図るため西成区社会福祉協議会が中心となり、「西成愛隣会」が発足した。

更生相談所内に事務局を置き、地域住民・労働者を対象に地区関連機関と協力しながら、各種事業をおこなっている。

各種動態調査をはじめ、演芸会の開催、地区内で他界された無縁仏の慰霊祭、あいりん銀行との連携による貯蓄奨励キャンペーン、児童対策として社会見学・郊外ハイキング・一泊キャンプ・人形劇観賞会等の行事を実施している。

また、昭和30年4月に「西成市民館」が設置され、隣保館として地区住民・労働者の会合・行事に対して会場を提供するとともに、教養・文化の向上を図るため、生花・茶道・書道・手芸等の各種講習会を実施している。さらに、スケート大会・ポーリング大会・夏休み朝の勉強会・クリスマス会等の行事を実施し、児童の健全育成や福祉向上を図っている。

Aあいりん貯蓄組合(通称:あいりん銀行)

地区内の労働者の大多数は、日雇労働に従事し、日払いの賃金によって不安定なその日暮らしの生活を余儀なくされているのが実状である。そのため、生活態度も「宵越しの金はもたない」との考えから、生活も著しく不安定である。

そこで、地区労働者の勤労意欲を増進し、生活の安定を図ることを目的に、昭和37年10月から貯蓄のあっせん事業を実施している。

その取扱高及び登録口座数は増加の一途をたどり、「あいりん銀行」の愛称で地区住民に親しまれている。 利用者の中には、貯蓄高の増加により生活設計の意欲を高め、貯金を生業資金にあてて自立した人も多数にのぽる。

業務取扱時間は、労働者の二一ズにあわせて土曜・日曜・祭日をのぞく毎日、午前9時から午後7時までとしているが、利用のピーク時間帯は午後5時以降となっている。

B宿泊施設

昭和36年の騒動により、あいりんに対する社会の関心が高まり、労働面の諸施策が講じられ、その改善が図られた。

一方、本市においては昭和37年に家族を有する世帯を対象に、その自立への足がかりとして、宿泊施設「大阪市立愛隣寮」を、さらに昭和40年に「大阪市立今池生活館]を開設し、入所期間(2年間)中に勤労・貯蓄の奨励・生活身上等の相談をおこない、共同生活になじみ自立へ向けての生活向上に寄与してきた。

しかし、社会・経済情勢の変遷にともない次第に入居者も少なくなり、愛隣寮は昭和75年12月に、今池生活館は昭和63年3月に廃止し、各々を生活保護施設に転用した。 また、昭和37年12月に建設された馬淵生活館は、環境整備のため設けられた施設である。

C関係機関との連携

以上当相談所は、民生福祉の立場から地域住民に対する諸施策をおこなっているが、同じ環境改善や福祉の向上という目的のもとに地域との関わりもっている西成区役所・西成区福祉事務所・西成保健所・西成消防箸・建設局南工営所・建設局南部方面公園事務所・下水道局西部管理事務所・環境事業局西南事務所・西成警察署・あいりん労働福祉センター・あいりん労働公共職業安定所・大阪社会医療センター等とともに随時連絡・調整をおこない、密接な連携を図りながら地域福祉の向上に努めている。

◇更生相談所

管理係
○保護又は措置の決定に伴う保護費又は措置費の支払い等に関すること。
○所内施設の維持管理その他、他の係の主管に属しないこと。

業務係
○環境改善地区の環境改善事業に関すること。
○関係機関又は団体との連絡に関すること。
○西成市民館及び馬淵生活館に関すること。

保護係
○法に基づく保護又は措置の決定に関すること。
○要保護者の更生指導に関すること。
○その他要保護者の福祉に関すること。

◇一時保護所

判定指導係
○要保護者の医学的・心理学的・社会学的及ぴ職能的判定に関すること。
○一時保護所の管理及ぴ運営に関すること。
○給食に関すること。

医療科
○患者の診療及び医学的研究に関すること。
○医療費等の請求その他診療所の管理に関すること。

◇西成市民館

○地域住民の生活、身上の相談指導その他福祉に関すること。
○地域における児童の就学奨励その他児童の福祉に関すること。
○集会室の使用許可及ぴ使用料の徴収並ぴに館の維持管理に関すること。

◇馬淵生活館(管理は(財)大阪市民共済会)

○館の宿泊施設の使用許可及び使用料の徴収並びに維持管理に関すること。
○館内居住者の生活、身上相談及ぴ指導に関すること。

◇西成保健所分室

○精神保健法、結核予防法に関すること。

◇生活相談室(西成愛隣会委託)

○法外措置に関すること。
○専門職員による児童等の各種相談に関すること。

◇あいりん貯蓄組合(民友会委託)

○地域労働者の貯蓄あっせん及ぴ奨励に関すること。

[参考資料]   年 表

事項
昭和20年 3月 戦時相談所開設 (昭和20年3月13日、大阪大空襲のあと大阪駅構内に設置)
  8月 終戦により戦時相談所を市民相談所と改称
21年 1月 大阪駅市民案内所設置(梅田厚生館前身)
  9月 高野山寮開設(38.6.廃止)
  10月 旧生活保護法施行
  11月 一時保護所設置 (大阪駅高架下に設立し、市民案内所を発展解消)
22年 2月 豊崎勤労宿泊所開設(41.3.廃止)
  3月 市立今宮市民館開設 (旧西成区東田町)
  4月 大阪市収容保護委員会設置
23年 7月 今宮勤労宿泊所開設(42.7.廃止)
  8月 塩草勤労宿泊所開設(37.12.廃止)
    市立今宮市民館保育所設置
24年 7月 一時保護所を梅田厚生館と改称 同時に各々の勤労宿泊所を寮と改称
25年 5月 生活保護法公布 長柄宿泊所の一部を長柄寮として開設
26年 5月 東成寮開設(38.6.廃止)
27年 7月 大阪市立保護施設条例制定
28年 9月 民生安定所を福祉事務所と改称
30年 4月 市立今宮市民館新設移転し、市立西成市民館と改称
    市立今宮市民館保育所を市立西成市民館附設保育所と改称
33年 4月 西成簡易婦人相談所開設(55.4.廃止)
昭和35年 7月 西成愛隣会結成
36年 4月 西成愛隣会館開設 (旧西成区甲岸町)
  8月 釜ケ崎暴動発生 (交通事故死者の遺体処理をめぐって)
  10月 西成保健所分室、愛隣会館内に設置
37年 2月 あいりん学園開園(38.3.廃止)
  5月 釜ケ崎対策連絡協議会設置
  8月 市立愛隣会館開設
  9月 市立馬淵生活館開設
  10月 あいりん貯蓄組合創設
    財団法人西成労働福祉センター開設
  11月 市立馬淵生活館保育所開設
  12月 市立愛隣寮開設(50.12.廃止)
    西成保健所分室、あいりん学園、市立愛隣会館内へ移転
38年 4月 愛隣会館附設保育所開所(46.5.廃止)
    あいりん小・中学校開校(48.12.廃止)
    財団法人西成労働福祉センター新築移転 (旧西成区東入船町)
40年 3月 中央簡易婦人相談所開設(55.4.廃止)
  4月 弘済院長柄分院廃止
    市立西成市民館附設保育所を市立東田保育所と改称
  6月 市立今池生活館開設
    市立今池生活館保育所開所
41年 3月 市立中央更生相談所開設 (同時に梅田厚生館及ぴ豊崎寮廃止)
  6月 「釜ケ崎」を「あいりん」と名称変更
昭和41年 9月 市立中央更生相談所附属病院業務開始
43年 8月 更生施設淀川寮開設
44年 1月 あいりん総合センター着工
45年 4 月 わかくさ保育園西成市民館内に開所
  10月 あいりん総合センター開設
    あいりん総合センター内に西成労働福祉センター・あいりん労働公共 職業安定所を移転
    大阪社会医療センター・市営萩之茶屋住宅開設
46年 5月 市立山王保育所開所
  6月 大阪市立更生相談所条例制定
    市立中央更生相談所附属病院廃止
    市立更生相談所附設一時保護所診療所開設
  7月 あいりん貯蓄組合業務を民友会に委託
  8月 8月16日、愛隣会館と中央更生相談所を統合し、大阪市立更生相談所 として事業開始
47年 1月 市立長柄宿泊所が市立中央更生相談所旧館跡に移転
48年 7月 市立更生相談所内に生活相談室開設
  11月 西成区住居表示変更に伴ってあいりんの公園名称を次のとおり変更
  • 1)萩之茶屋南公園(旧、東萩公園〔通称三角公園〕)
  • 2)萩之茶屋中公園(旧、海道公園)
  • 3)萩之茶屋北公園(旧、甲岸公園)
  • 4)花園公園(旧、四条公園)
  12月 新今官小・中学校開校(59.3.開校)に伴いあいりん小・中学校廃止
49年 2月 結核相談コーナー、西成保健所分室に開設
  4月 地区内生活道路清掃事業の実施(萩之茶屋福祉会に委託)
51年 2月 長柄寮の一部を更生施設大淀寮に変更
  4 月 「今池こどもの家」今池生活館に開設
54年 9月 市立長柄宿泊所の事業を廃止
昭和54年 10月 市立長柄寮が市立長柄宿泊所跡に移転
56年 11月 大阪市緊急母子一時保護事業開始に伴い更生相談所一時保護所に母子 入所を廃止、男子のみとする
57年 5月 大阪市立馬淵生活館管埋運営を(財)大阪市民共済会に委託
63年 3月 市立今池生活館事業廃止(今池保育所は東田保育所に統合・「今池こ どもの家」市立更生相談所へ移転)
平成2年 2月 新今宮小・中学校跡地に救護施設大阪自彊館「三徳寮」「今宮文庫」 「子供教室」開設
  4 月 旧今池生活館跡に救護施設「今池平和寮」開設 (「今池こどもの家」同所へ移転)
  5月 西成保健所分室、結核検診業務の拡充
  9月 第1回あいりん環境美化キャンペーン実施
3年 10月 新今官小・中学校跡地に萩之茶屋「老人憩の家」「集会所」開設
  バブル纏済崩壊 構造不況始まる
4年 10 月 あいりん騒動発生 (応急援護資金の貸付の取り扱いをきっかけとして)
6年 3月 平成5年度分西成労働福祉センターの日雇(現金)求人件数(延数) が7年ぶりに100万件の犬台を割る
  12月 更生相談所一時保護所、人にやさしい街づくりにともなうエレベータ 一設備等設置
7年 1月 1月17日、阪神大震災が起こる
  4 月 更生相談所の土曜閉庁実施

発行:平成8年10月

編集:大阪市民生局 大阪市立更生相談所

大阪市西成区太子1-15一17 (06)649―4900