― 福祉相談部門より ― 福祉アパート事情
「福祉アパート」に入居して、生活保護を受けながら生活する人の話。
Aさんがアパートを出たわけ 初めてAさんと出会ったのは夏の夜、三角公園避難所で。物静かで口数少なく、かといって必要な時に要領を得た口が利けないという訳でもなく、彼の寡黙さは他者への気遣いゆえ、落ち着いた“本当の大人”の雰囲気が、3年経った今でも印象深く思い出される。生活保護を受給した後は事務所に顔を出すこともほとんど無く、しかしAさんなら上手くやっているのだろう、ただ気掛かりは「これまで医者にかかったことは皆無」というAさんの健康状態。というのも、自らの健康を自負する人は、往々にして医療を退け、病気の発見が遅れがちになるからである。
高齢期の変化は、時に唐突にやって来る、椿の花が前触れもなく落ちるように。何らかの予兆はあるかもしれない、しかし、それを察し得たとして、私たちに有効な手立てはなかなか無い。正味の実感だ。
去年の秋口に突如、Aさんの奇矯な行動が目立ち始め、周囲を困惑させるようになった。始まりは、「Aさんがここ何日か部屋に閉じこもりっきり、ご飯もろくに食べてない」との噂、心配したアパートのスタッフが彼の部屋を訪ねる。ドアを開けると、山積したゴミが層を成し、所々から虫が湧いている。一体彼に何が起こったのか? とりあえず掃除をさせてもらおうとするのだが、Aさんは部屋に入れさせてくれないどころか、けんもほろろ、どんな呼びかけにも応じない。どうしたものかと思案しているうちに、Aさんの奇行はエスカレート、夜中に物音を立て廊下を徘徊、近隣からの激しい怒りを買うまでになり、あまつさえ隣の入居者と深夜に揉み合いになることさえあったらしい。
アパートのスタッフは、急いで動く。きっとAさんの変貌ぶりは老人性痴呆症が急激に昂じたものだろう、であるなら適切な医療に彼をつなげなければと、思い当たる機関・団体全てに電話。連絡を受けた保健センターの相談員と嘱託医・福祉事務所のケースワーカーらが、日替わりに彼のもとへ日参し、ドア越しの説得は粘り強く続けられる。ようやくAさんと対面して話ができるところまではこぎ着けたのだが、「医者は無用」と依然Aさんは拒み続け、結局、彼の豹変の明確な原因も分からぬまま、11月、「Aさん自身の申し出により退去」という結末を見る。
Bさんがアパートを出たわけ Bさんがこのアパートに入居したのは3年前、月日が経つのは早いものだと彼は感慨にふける。Bさんも釜ヶ崎で生活してきた多くの人たちの例に漏れず、周囲とはつかず離れずの間を保ちたいと思う。深い仲になると、「金を貸せ」だの「借りた」だのと厄介事も多くなる、だから、近所付き合いはそこそこに止め、最低限の礼儀・愛想・気遣いと、健康維持のための散歩だけは欠かさぬようにと、淡々と毎日を送る。月末に生活費の用立てに駆け回るというようなことは無く、かといってさしたる黒字を残すでもなく、収支はトントン、三畳一間は少々狭いし、共同炊事場は、即席麺一つ炊くにも使用の順番を隣人に気を遣わねばならないし、と、多少の不満を感じつつも、「住めば都」、引越しはまだまだ先かな、しかしまあどうにか、この平穏無事な日々が続けばいいと思っていた、その矢先。
Bさんは騒動の渦中へと投げ落とされる。Aさんの急激な変化・豹変に巻き込まれてしまったのである。ここ数日間隣人の物音に熟睡を妨げられたストレスは、Bさん自身が思う以上に甚大だったのだろう。ある夜、騒音への激高の念に堪えず、廊下に踊り出て、鬱積した感情を隣人にぶちまけてしまった。
この齢になって自分が取っ組み合いの喧嘩など、すると思ってもいなかった。相手は年長者、しかもどちらかと言えば華奢で弱々しい。迷惑行為とは言え、それは老人性痴呆が昂じた結果、誰にでも起こり得ること、と鷹揚な心持ちで接したかった・・・俺は何という失態を演じてしまったのか。
結局、Aさんが去った後にも、感じやすいBさん自身、尻の座りの悪い気持ちを拭い去ることができず、一月余り思いあぐねた末、彼は転居を決意した。
Aさん(そしてBさん)を巡るあれこれの間、アパートのスタッフの苦労と努力は尋常ならざるものだっただろう。Aさんに対する周囲の人たちの苦情については、彼らの身になれば至極まっとうな主張であると思うし、彼らの被った迷惑は同情に値するものであり、アパートの管理責任上何らかの解決の方策を示さねばならない。一方で、Aさんは悪意によって迷惑行為をした訳ではなく、だから無碍に退去させるという訳にもいかず、むしろアパートを退去した後、Aさんはどうなるのだろうという心配も拭えない。結果、“サポーティブ”であろうとするスタッフは、Aさんと、周囲の入居者との板ばさみという葛藤を、飲み込まざるを得ないのである。
「福祉アパート」も「サポーティブハウス」も、福祉の処遇を必要としている人たちに多大な貢献をして来たし、現在もそうなのは間違いない。「居住地が無い」という理由だけで、生活保護相談の「土俵」にものれず、「保証金」という障壁を前に歯がみした人はどれ位いただろう。「無差別平等に」という法律の文言の空疎を呪いつつ路上で絶命した人たちも決して少なくないだろう。それを思えば隔世の感は否めない。相談スタッフの配置・共同リビング設営・生き甲斐創出のための様々な取り組みなど、入居者が再び路上に戻らないための工夫も、地道に、そして確実に奏功している。
しかし、将来に不安要素が皆無という訳では決してない。というのは、例えば、概ね入居時年齢が65才として、5年後には70才、10年後には75歳・・・である。しかも大抵の簡易宿泊所からの転用物件は100部屋前後あるいはそれ以上の規模を擁し、上記のような支援の能力を超える事例というのはいくらでも出てくるだろう。その時に、「福祉アパート」「サポーティブハウス」からの“出口”として、私たちはどんな社会資源・福祉制度・社会的なサービスを持つことができるだろうか? あるいは、簡易宿泊所転用のアパートを“終の棲家”として選択した入居者の晩年を、どうサポートできるだろうか? しかも100人前後という極めて大きな規模で?と考えると、しんどいのだが。
*「福祉アパート」:生活保護受給者向けのアパート。簡易宿泊所から転換を図ったもので、大抵は保証人、保証金が不要で最初の保護費がおりるまでの1ヶ月分の家賃を待つところが多い。
*「サポーティブハウス」:共同リビングを備えた、生活支援型の福祉アパート。生活相談や金銭管理などの様々なサポートプログラムを持つ。
「野宿生活予防119番」―1月31日〜2月2日実施予定
連合大阪と釜ヶ崎支援機構で実行委員会を構成、大阪府や市の後援を受けて、「野宿生活予防119番」を実施(1月31日〜2月2日)する。これは、期間限定で電話や来訪による相談活動を実施するもので、野宿生活予防の施策作りのため、現行の施策(生活困窮者に対する生活資金の貸し出し制度や、生活保護の適用など)で何が可能で何が不足かを探るために、予備的な調査も兼ねて行う。また、サラ金対策の必要性も予測されることから、弁護士による相談も準備している。
ホームレスに自立支援等に関する特別措置法に基づき、国の基本方針が策定されようとしている今、予防の視点を入れるために必要な作業であると考える。
*****釜ヶ崎支援機構行事メモ*****
2002年12月
2日 西成区地域福祉研究委員会に出席
5日 野宿生活者対策について厚生労働省・国土交通省と交渉
10日 ユニオンカレッジ(大阪市職員労働組合民生支部)野宿者問題学習会
11日 鳥羽高校教職員・釜ヶ崎視察案内
13日 横浜市行政問題自主研究グループ・釜ヶ崎視察案内
14日 連合評価委員会のタウンミーティング出席/NPO指導員研修(人権研修)
17日 あいりんプロジェクト出席(「野宿生活予防119番」について議論)
25日 大阪市雇用施策懇話会出席/大阪城野営地でクリスマスイベント開催(寝袋プレゼント)
27日 菅直人・民主党代表大阪城・釜ヶ崎視察案内
29〜30日 南港臨時宿泊所・入所受付整理(更生相談所前にて)
野営闘争継続のための支援物資・支援金にご協力ください!!
今、大阪市役所前の中之島公園では、200人を超える仲間たちが野営を続け、仕事を求める闘いを行っています。
◎炊き出しボランティア募集!
仲間たちと一緒に、炊き出しを手伝って
ください。早朝4時〜夜7時の時間帯な
らいつでも何時間でもOKです。野菜を
切る、調理する、配食などいろいろあり
ます。栄養バランスを考えた献立を作れ
る人も求めています。(写真右:ある日の炊き出し「中華丼」)
○場 所:中之島公園(中央公会堂前・地下鉄淀屋橋駅下車)
○連絡先:松本(携帯:090-4902-8460)
◎食料、衣類、毛布などの物資や支援金など、力を貸してください!
炊き出しのための食料(米、野菜特に青物、魚、肉など)や、衣類、毛布など物資のカンパをお願いします。1ヶ月の炊き出しに約150万円かかっています。支援金のご協力もお願いします。
○支援物資の送り先:〒557-0004 大阪市西成区萩之茶屋1-9-27
生活道路清掃事務所気付 釜ヶ崎反失業連絡会
○振込先:郵便振替:00990−5−138688「釜ヶ崎反失業連絡会」
炊き出し風景(大阪市役所前)
2002年度
第5回会員の集い
2月16日(日)午後2時〜
NPO事務所2階で
行います。
ご参加ください。
会費・寄付の振込口座:郵便振替:00900-1-147702 釜ヶ崎支援機構
福祉部門への振込口座:UFJ銀行萩之茶屋支店(普)1114951 釜ヶ崎支援機構